2015年05月04日

白橋龍夫さん-再建ボーイスカウト受難時代-(産業新潮昭和58年8月号より)

「産業新潮」という月刊誌があります。その昭和58年8月号に掲載された白橋龍夫さん(日本連盟参与)の寄稿をご紹介します。

 戦後のボーイスカウト運動再建では、物心両面からその活動をしっかりと支えた数多くの方々がいらっしゃいます。白橋龍夫さんもそのお一人で、ご自宅はもちろん、経営していらっしゃった(株)白橋印刷所の社屋を需品部として提供して下さり、連盟への巨額な資金貸与で会社の運転資金に困窮することまでもあったとか。

 今とは少し異なる、「こころざし」を感じませんか。華々しく連盟史に登場する皆さんではなく、しっかりとスカウト運動を支えてくださった方々をご紹介し、感謝の念をこめ記録として留めておきたい。そう思います。以下にその記事の全文をご紹介します。

産業新潮8月号 昭和58年7月25日発行(産業新潮社/東京都中央区)より

「再建ボーイスカウト受難時代」ボーイスカウト日本連盟参与 白橋龍夫

-BS運動に六十年 日本連盟の沿革と現状-

 戦後三十八年、日本は世界に誇る復興躍進をなし遂げ、経済大国として世界注視のマトとなっている反面、国内ではようやく教育のヒズミから先ごろのような中学生の衝撃的な事件が相つぎ、将来の日本はどうなることかと不安な気持でおりますが、私も戦前からボーイスカウト運動関係のひとりとして、青少年教育にある程度の関係を持ち続けた人間で、問題校の教師の立場、生徒の生活環境やその心境を思いやり無関心ではおれないものがあります。
 私がボーイスカウト運動に関係してすでに六十年になりますが、お陰でボーイスカウト日本連盟の現勢は約三十三万人を数え、戦前の十倍の人員となっております。戦後のボーイスカウトの教育をうけたものは通算しますと120万を越すものと思われます。
 わが国のボーイスカウト運動の創始は、1913年(大正二年)といわれておりますが、私どもそのころの仲間が日本ボーイスカウトクラブに集まり、オールドスカウトとしての活動を行ない、今では現役との交流、ボーイスカウト日本連盟の計画や行事への協力、このほか外国の仲間や友好団体との交歓などをなっている次第であります。

-戦後の再建に協力 GHQの説得に当たる-

 想起すれば、三十八年の昔、日本国民が初めて体験した敗戦、占領中の軍政下にあって、国の復興には国民等しく困苦欠乏の時代がありましたが、ボーイスカウトの再建にあたっても世界を相手にして戦った日本の軍国主義の再起をおそれて、海洋(シー)、航空(エア)少年団の創建が禁止され、規約ひとつを作るにしても占領軍の意向を打診しつつ進めたものであります。
 私が結団の前から相談に与っていた東京・目黒の都立大学近くに住んでいた、アメリカ生れの二世でサンフランシスコ・クロニクル、同盟通信社、NHKを経て、当時日刊英字紙ジャパン・タイムスの社会部長だった村山有氏が、ボーイスカウト再建にあたって進駐軍との折衝の矢表てに立ったのでした。直接その衝にあたらない戦前の熱心なスカウト指導者の同志には不満が多く、内容を批判し、占領軍と談判にあたっているものを泣かせたものです。
 相手は紳士とはいえ、勝者の立場にある占領軍の軍政下、たとえば、現在日本ボーイスカウトが使用しているスカウトき章は、全体の形は世界各国ほとんど同一で、花形は百合(ゆり・愛)、三個の花弁はスカウト・サインの三つの誓いをあらわし、真中の弁は北を指すコンパス、二つの星は真理と知識を、そしてスカウトの目を型どったものですが、何とはなしにアメリカ占領軍の押しつけたものという印象は否めませんでした。戦前の少年団時代のき章、三種の神器の八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八坂 曲玉(やさかにのまがたま)のひとつでありましたが、この鏡を入れて「日本人の心」をあくまでも残そうとする村山東京連盟理事長に対し、占領軍当局は猛然と非難攻撃をしたが、村山氏らの説得で日本側の希望が入れられ、私はいつもこのことを回願しては、アメリカが当時の状況下にあってよくこの鏡を許したものだと感慨を新たにするとともに、今日までこの鏡が生きているのであります。

-私宅を会議場として GHQ幹部を接待-

 このようなことから米軍関係者とは、たびたび打合わせの必要にせまられ、幸い築地明石町の私宅が戦災にあわず残っていたため、当時の日本連盟三島通陽総長からここを是非会議場としてお貸しくださいと懇願され、当時の状況に、止むをえずとこれを承知し、ボーイスカウト日本連盟会議場としたのです。一日も早くGHQ(連合国軍総司令部)の許可を取りつけるために、会議に出席の外人には必ず日本食を準備して、当時日本人としては最高のもてなしをするハメとなり、金もなく物もない時代、家内に無理算段させて外人の好む天ぷらを整えるため、伊勢エビは、当時華河岸にも入荷が少ないために夜半に買出しに行き、愚妻が多少の調理の心得があったため、徹夜で料理を作ったものでした。
 今でこそ都内の著名なデパートには、ボーイスカウト用品売場が特設されておりますが、当時日本連盟の需品部は私の社の八丁堀の印刷工場を無償貸与したり、連盟資金もなくついつい立替えるハメとなり、100万に近い金額を出資し、私は社の運転資金にも困窮することがたびたびあり、日本連盟も私も行きがかり上過渡期の苦難を味わったものでした。
 GHQ民政局より私宅に集まった外人は、ダーギン、タイパー、フィッシャー夫妻、ウイリアム、スチュアート大佐、リビスト少佐、ネピア少佐、サリバン女史らで、三十余年たった今では懐かしい記録にある人々です。また、日本側は、故三島通陽、故岡本礼一、故村山有、関忠志の四氏が交渉の主体となり、他に古田誠一郎、今田忠兵衛、尾崎忠次、鳴海重和の諸氏や、時には夫人方のお力添えも大なるものがありました。
 たびたびの会談のうちに尚一層の和を求め、ひたすらボーイスカウト誕生のために伊東温泉行きとなり、旅館「いずみ荘」に唄い踊る芸能人ともども、前記外人のほか、伏見朝子さま、三島通陽夫人、塩野女史方々の涙ぐましいご協力でご出席くださり踊りの輪を作る等、ご努力の程は感謝の至りでした。昭和二十三年十一月七日伊東市の肝いりで市の公会堂でボーイスカウト運動の講演会のおり、スチュワート大佐の発言で、戦後のボーイスカウト運動史上最初の国旗の掲揚と国歌「君が代」の斉唱を許された時、私達はこれでボーイスカウトの再建は半ば成功したものと感涙にむせんだものでした。

-BS日本連盟の再建 幾多の迫害を克服して-

 この運動の結果が、ボーイスカウト再建運動の狼煙(のろし)となって、全国各地に存在の戦前のスカウト同志達が運動の主体をはっきり認識して力強く動き得たと存じます。
 当時文化人と称する方々のもっとも多いとされたいたのは、目黒と世田谷の両区といわれていましたが、村山理事長の自宅近くの都立大学のキャンパスでは学生が労働歌を高唱し、また自宅の前の区立中学校では校舎のスピーカーから白昼公然と教師により「ボーイスカウトに入るな。米国の欺瞞政策だ」等々、あらゆる反米宣伝があったが、地もとの大学生の文化サークル「八雲青年会」が村山氏に協力して理事長の地もとに一日も早くボーイスカウト隊の創建をと努力したが、暗やみから石が飛んでくるなど、若者達は恐れをなして何度も結成はざ折、ついに村山氏は、軍隊から復員した指導者を隊長に任じ、一方日比谷の米軍憲兵隊司令部バーンズ少佐に連絡、地もと碑文谷警察署長は防犯係の私服を結成準備の隊活動には派遣ひ護するという、今ではとうてい考えもつかない迫害をうけたのでした。隊長も父兄も決死の覚悟で隊づくりに奔走したのでした。このような事情から、東京では成城学園に第一隊、浅草に第二隊と結成をみ、とうとう村山氏の地もと隊はようやく七十番目の結団をみたのでした。
 マッカーサー元帥に談判をして、日本のボーイスカウト再建の許可を取り付けたり、日本列島を取り巻く当時のマッカーサー・ラインなるものを撤廃させた民間外交の立役者国際新聞人の村山氏は昭和四十三年に、再建の揺らん期に終始苦労をかけた家内も昭和五十二年に亡くなりました。日本人がはじめて体験した敗戦、それから四十年もの平和なっ暮らしになれた今日ではとうてい想像もおよばぬことで、歴史はとかく時の為政者の手によって勝手に都合のよいように改編改ざんされ歪められ、歪んだまま正統と信じ認められてしまうこと数多くあり、まことに残念の至りです。

-青少年の健全育成と 祖国の繁栄に寄与を-

 この再建初期の状況が、日連本部には記録が少ないのは、当時本部の役員であった故三島氏、故岡本氏、故村山氏の死亡により自然推移によることと思います。しかし当時会議にご参加くださった方々が今回ご健在であらせられることは、誠に心強きかぎりとご祝福申しあげます。
 昭和十三年、少年団日本連盟の月刊機関誌『少年団研究』第二号の印刷からその衛にありましたものとして、ひと言ボーイスカウト再建運動中故人となられた同志の当時の逸話をご披露し、とくに村山理事長方々の供養にと「ぶしつけ」をも顧みず筆をとりました。昨夏、山形市でのボーイスカウト日本連盟の総会で、私に渡辺総長より特別感謝章を伝達されましたが、愚妻にくださったものとありがたく拝受した次第です。
 ボーイスカウトに限らず、今後も青少年教育の健全育成のため関係者と親しくご連絡をとり、祖国の繁栄発展に寄与したく考えております。
                         株式会社 白橋印刷(現在は株式会社白橋)
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2015年04月16日

制服で卒業式へ


 3月末のフェースブック(SNS)に、北海道連盟帯広第4団からこのような記事投稿がありました。

「十勝方面の多くの小学校は、今日が卒業式でした。帯広第4団のスカウトがボーイスカウトの制服を着て、卒業式に出席しました。こちらの地域では、卒業式には中学校の制服を着用するのが通例なのですが、『小学校1年から6年間がんばって活動してきたから、ボーイスカウトの制服を着て式に出席したい』と、自分で決断し卒業式に臨みました。堂々とした姿に感動しました!卒業おめでとう!」

 聞けば、スカウトからご両親に相談があり、その連絡を受けた所属団の清水団委員長は、「制服着用で卒業式に臨むと連絡が来たときは、驚き、うれしさ、若干の不安」があったそうです。

 この記事と共に、小学校の前で敬礼する写真も添えられていました。フェースブックでは、他にも全国各地で卒業式に制服姿で列席したスカウトの写真が紹介されていますが、しかし、女子スカウトは初めてです。スカウト活動大好きな、活動に誇りを持つスカウトが、卒業式に制服で出席する姿にはとても感動を覚えます。恐らく、ご両親や彼女を育んだ指導者の皆さんも、同じ想いでしょう。
帯広4卒業写真.jpg
 ちなみに、このお嬢さんが卒業した小学校のある池田町は、帯広市のお隣です。池田という町名は池田農場があるからで、明治時代、池田仲博侯爵(旧鳥取藩主)らが払い下げを受けてこの農場を開いています。その池田侯爵のご子息は、戦後、ボーイスカウト日本連盟の国際委員長でした。この事にも、ちょっぴりとボーイスカウトとのご縁を感じます。

 卒業おめでとうございます。そして、中学校入学おめでとう!これからもスカウティングを楽しんで下さいね


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2015年03月21日

EverOnwardの集い配布資料

平成27年2月28日(土曜日)日本富士スカウトクラブ主催のEver 
Onwardの集い(EO会)ではさまざまな資料が配布されました。
 その中から、お話をして下さった栃木県連盟評議員の宇都宮第1団
鴨志田敬さんの「なわ結びに関心を持ち始めた動機と、第10回世界
ジャンボリー(フィリピン)に参加した頃」と、「村山有と第一回全国大会」
の二つをご紹介します。

【配布資料】(資料名の上をクリックして下さい)
1.「なわ結びに関心を持ち始めた動機と、第10回世界ジャンボリー(フィ
  リピン)に参加した頃」

2.「村山有と第一回全国大会」

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2015年03月06日

2月28日開催EverOnwardの会(EO会)

平成27年2月28日(土曜日)日本富士スカウトクラブ主催のEver 
Onwardの集い(EO会)が日本記者クラブ会議室で開催されました

 今回は栃木県連盟評議員の宇都宮第1団鴨志田敬さんからお話
を いただきました

 鴨志田さんは栃木県でスカウト運動に参加され那須野営場の中
村知場長とも親しく交流されていました。また、日本連盟機関誌の
「ジャンボリー」15号(昭和29年5月1日発行)の[研究ページ]に 
「なわ結びの話」を寄稿され、1959年の第10回世界ジャンボリー
(フイリッピン)には派遣団・関東第2隊の副長で参加されました。
今回は当時の事を中心にお話を聞かせていただきました

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 鴨志田さんのお話は、おもむろに藁の束を取り出しての藁縄を綯 
(な)う技のご披露より始まりました。次いで1954年5月発行の「ジ
ャンボリー」誌に書いた「なわ結びの話」、大学農学部ご出身という
こともあってお話は多岐にわたります。
 縄文時代の古墳発掘でひとえ結びが発見されたこと、沖縄の縄算
個人が独特の結びを考え、それが所有者識別に使われたこと、罪人 
の捕縄術など、興味深いお話が続きます。伊勢流・小笠原流・方円 
流など、平安時代には縄結びの流派まであったと知りました。

 次いで中村知さんのお話になり、中村さんが大阪から栃木県の那須
野営場場長に就任された折に地元の中臣昭範さんと共に奉仕された
お話しや、中村さんの人柄やペンネームの「東野通義」の由来などの
お話をいただきました

 そして、第10回世界ジャンボリー大会のお話になりました。大会は
1959年フィリピンのラグナ湖に近いマッキリン公園内で開催され、
44カ国から12203名が参加し日本からは520名の大派遣団でした。
鴨志田さんはは関東第2隊の副長での参加でした。また、その時の隊
長は埼玉県連盟副連盟長をされた高田福松さんでした。(高田さんは
EO会会員の村山さんと同じ杉戸団の団委員長)

 そしてお話は、フィリピンで戦犯として捕虜となった旧軍人作詞作曲 
「ああモンテンルパの夜は更けて」にまでお話は及びました。事前に
用意された資料を元にしてのお話で、すべてきちんと関連付けられ、
聞く方の違和感は有りませんでした。モンテンルパは、ジャンボリー会
場に向かう途中の別れ道を入ったあたりにあったそうです。
 また、2006年のノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌスさんは
パングラデシュ派遣団として参加であったとか。

 お話はまだ続きましたが、残念ながら途中で時間切れ、次の機会が 
待たれます。その後は皆さんの近況やコレクションのご披露。今回は
徽章です。
(この3月1日に発行された機関誌「SCOUTING」著名人インタビューで
ミズノ(株)の水野正人会長がボーイスカウト・アンバサダーと紹介され
ていますが水野会長も第10回世界ジャンボリーに派遣団の一員とし
て参加しています)

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2014年09月04日

平成26年8月30日 EverOnwardの集い(EO会) 平成26年8月30日 EverOnwardの集い(EO会) 平成26年8月30日 EverOnwardの集い(EO会)

EverOnwardの集い(略称EO会)は、年2回、日本記者ク
ラブにゲストをお迎えして講座を開催していますが、今回
は「たまには食事をいただきながらの集まりを」とのご希
望が多くありましたので、今回は「残暑払い」として開催
致しました。この日は、日本記者クラブ小会議室で名門
レストランアラスカのビュッフェスタイルの食事をいただ
きながらの集いです
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 会は大石和夫EO会会長の挨拶で始まり、阪下朝一氏の
乾杯でEO会の初めての「残暑払い」が開始されました。
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 この日のメインゲストは、日本オールドスカウトクラブ
副会長の渡邊宗男氏で、戦前の少年団に加入された時のお
話や、日本連盟再建時に皇居前で開催された第一回ボーイ
スカウト全国大会にスタッフとして参加された時のお話、
戦後再建時の日本連盟本部が京橋の千代田生命会館ビルの
一角に置かれ、事務局長の岡本礼一氏と共に働いたこと、
GHQの放出品を置くために新橋第一ホテルの向い側の電
車高架下に倉庫を兼ねた需品部を開設したお話、その他戦
後混乱期の日本連盟の事務所の推移など、貴重なお話の数
々をお聞かせいただきました。
(参考:日本富士スカウトクラブブログ2011年12月6日参照)
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 その後、1955年に第8回世界ジャンボリー(カナダ)に参
加された鈴木高氏が、来年派遣60周年を迎えられますの
で当時のお話を中心に思い出話をいただきました
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 また、日本のボーイスカウト運動史には欠かせない山
口勝治先生、中村知先生の思い出話などを山口先生のご
子息陽氏や、中村先生の娘婿の粕谷信夫氏を初めとして
参加者の皆様から沢山いただきました。さらに、参加の
矢島巖氏からは「ちーやん」の肉声のお披露目がありま
した。

 今回の残暑払いには、滋賀県、愛知県、栃木県など遠
方からの参加者もいて、予定時間を大幅に過ぎて話は尽
きない有意義な時間を過ごしました
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2014年03月15日

EO会、奥島日本連盟理事長を囲んで


 

 3月8日(土曜日)午後2時から、日本富士スカウトクラブ主催のEverOnwardの集いが開催されました。
 今回のゲストは奥島孝康ボーイスカウト日本連盟理事長です。早稲田大学第14第総長でしたが、現在は日本高等学校野球連盟第6代会長にも就任しています。法学者としてのご専門は会社法で(法学博士)、「コーポレートガバナンス」を日本へ紹介した方として著名です。
 ボーイスカウト関係では、中学1年生のとき故郷愛媛県宇和島で入団しました。その後上京して早稲田大学へ入学し、東京第149団青年隊(現新宿第2団早稲田大学ローバース)に入部しています。

 奥島理事長のお話は簡単な自己紹介に始まり、宇和島でのスカウト活動の思い出へ。当時はネッチが四角形で、入団から2年間は、そのネッチのみがスカウトの証であったようです。憧れの制服は、二年後に海外派遣で渡米した上級班長から譲られたものでありました。
 とにかくキャンプが大好きな少年で、年間100日はキャンプをしていたとのお話です。四万十川の源流あたりでキャンプ、淵へ入ると小魚が足を突くと言う自然の真っただ中。日常の訓練などは伝令に早朝4時5時に窓ガラスへ小石をぶつけられて起こされ、神社の境内などで手旗やロープワーク。夜間ハイクもあり、漆黒の闇を星空を見上げながらのハイク。当然、田圃に落ちる事も度々。進級は菊までで、ただ、当時の隊長が「お前を菊にした」と宣言、それだけであったとか。最近連盟で調べたところ、1級章までの記録はあるものの菊の記録はなかったとおっしゃいました。「大学の授業は90分で、今日は60分で調子が出ない」などとおっしゃいながら、お話はさらに続きます。最近のボーイスカウトで物足りぬのは、例えばゲームが少ない、ソングをあまり歌わない、神社の境内などで集会を開き、外へ出る事が少ないなど。リスクマネジメントにもお話は拡がり、安全を意識するあまり最初から冒険を回避する傾向はないかともおっしゃいます。大学では探検部部長で、現在もハードなアウトドア活動をなさっていらっしゃる。アウトドア志向の方とお見受けしました。現在カブ隊に在籍するお孫さんに、お持ちのノウハウを伝授すると、大張り切りのご様子でした。

 随所に笑い声が湧きおこる、楽しい和やかな会でした。来年の世界ジャンボリーを控え、準備や資金集めにご多忙な毎日であるようです。この理事長をお迎えして、ボーイスカウト運動がより発展しますように。

 この日、第二部の最初に無名戦士像と共に制作された、無名戦士像前で敬礼するスカウト少年像のモデル山越章さんもゲストとしてお迎えしました。山越さんには像の制作当時、祐天寺の彫刻家横江嘉純さんのアトリエにモデルとして通った話などを聞かせていただきました。山越さんが在籍した団は残念ながらすでになく、しかし、山越さんはこの像のモデルとなった事に誇りをお持ちとのお話です。
 下に集合写真が掲載されていますが、奥島理事長の左隣は大石EverOnwardの集い会長(山越さんをモデルとしてご紹介)、そしてその左側が山越さんです。




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2014年03月10日

平成26年3月 Ever Onwardの会


本文

 平成26年度3月8日、東京・内幸町のプレスセンタで、当クラブが主催する定例のEO会が開催されました。
今回のゲストはボーイスカウト日本連盟奥島理事長で、約2時間近くにもわたり、四国四万十川の源流で過ごした少年時代のボーイスカウト活動の思い出を中心に、ボーイスカウト運動の現状や将来構想などに付いて興味深いお話の数々をご披露頂きました。

 お話の内容は整理ができ次第ご紹介する予定ですが、当日配布された資料を掲載しました。
 この日、横浜こどもの国にある「無名戦士像」はご存知と思いますが、その制作にあたって像の前に敬礼するスカウトのモデルとなった東京47隊(当時。現中央第3団)山越章さんもゲストとして見えて、会はさらに盛り上がりました。
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2013年12月23日

EVER ONWARDの集いご案内

 次回EO会開催のご案内です。なお、今回は会場がせまく、すでに参加のお申し込みは締め切らせて頂いたとの事です。

【ご案内の内容】
                  2013年12月吉日
EO会会員各位
                  FSCJ世話人

 [EVER ONWARD]の集い ご案内

三指 会員の皆様にはますますご清栄にてお過ごしのこととお喜び申し上げます。
例年2月末の土曜日に開催していました「EO会」ですが次回は2014年3月8日(土曜日)になりましたのでよろし
くお願い致します。

第一部のゲストには大石和夫会長のご配慮でBS日本連盟理事長の奥島孝康先生を予定しています。奥島先生にはご多忙の中ご都合をつけてご出席戴きます事を感謝しております。なお、ご講演の後にはいつものように懇談会がありますのでよろしくお願い致します。今回の会場は日本記者クラブの小会議室で参加者は17名を予定しています。日付のご注意をして出欠返事を今回連絡担当世話人までお願い致します。 
                               弥栄
               記
  
日時 2014年3月8日(土曜日)
  14:00 開会
  14:00〜14:10 挨拶 大石和夫EO会会長
  14:10〜15:00 第一部講演
「私のスカウティング」(仮題)
 BS日本連盟理事長 奥島孝康先生
 15:00〜15:10 休憩
 15:10〜16:00 第二部  懇談
  16:00      閉会

場所 日本記者クラブ 小会議室
    東京都千代田区内幸町2-2-1
 日本プレスセンタービル

会費 1000円

今回連絡担当 (省略)
          

[EVER ONWARD]
 = 「最善を尽くせ!」「限りなき前進!」で目標,理想の峰を目指し自己研鑽(Self-Scouting)する。

PS: 参加の皆様には、この会ならではと思われる珍しい宝物(品物や珍しいお話)がありましたら是非お披露目お願い致します。
                               
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2013年09月12日

8月EO会「戦後日本ボーイスカウト最初の海外派遣60周年を記念して」 」

 8月31日(土)12時から、日本記者クラブ会議室で「戦後日本ボーイスカウト最初の海外派遣隊長大石和夫さんを囲む懇談会」が開催されました。

 昭和28年(1953年)6月26日から9月8日の75日間、第二期名誉スカウト訓練参加者から選抜された11名が、松平頼明派遣団長、大石和夫隊長引率のもと渡米し、第三回全米ジャンボリーに参加しています。閉会後は全米をまわり、各地で大歓迎をうけました。今回はその60周年を記念して、大石隊長の思い出などをお聞きしました。
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        【左から二人目が大石さん】
 会は、当時の派遣団スカウトであった藤田忠昭さん(横浜)も出席して、阪下朝一さん(足立第1団)の音頭で乾杯から。いよいよ大石さんのお話が始まります。10日間をかけて日光丸で渡米(帰国は氷川丸)、サイトではバークレイの隊と一緒でした。日本からの派遣団ということで来客や見物人が殺到し、ご迷惑をかけてしまい申し訳がなかったとのこと。「日米親善櫻樹贈呈」プロジェクトの説明のためにソルトレイク地区理事がサイトに陣取り、それもにぎやかになった原因のひとつ。戦時中、日本からの移民が収容所へと追われた歴史がありますが、他地域と異なり、ソルトレイク市民はとてもよくお世話をして下さいました。そのお礼としてソルトレイク市の公園に桜の木を贈呈しようと、東京のスカウト達が募金活動で桜の苗木を購入し現地へ送ったのですが、その到着直前に検疫法が改正されて焼却処分となりました。その輸送費を村山有東京連盟理事長が支払わざるを得なくなり、家を処分する事を聞いて全米で募金活動が始まるという事がありました。結局、事情を知ったパンナム(当時)が請求を取り下げて落着したのですが、募金はテントなどにかわって日本へ贈られました。その経緯を説明するために、ソルトレイク地区から見えたようです。なお、現在ソルトレイク市にある桜は、ワシントンから贈られたものです。

 さて、ジャンボリーでの派遣団の出し物は、盆踊りと獅子舞。特に獅子舞は、本職の方に一週間の特訓を受けたとか(ジャンボリー終了後に西海岸の各都市をまわりましたが、どこでも「勝手に」獅子舞のプログラムを作り、しかし、とても好評を博したようです)。他におおウケしたのが七輪。カマドが持ち歩けて危険は少ないために、安全性が高いと評価されたのでしょうか。

 他に特筆すべきは「ファーストキスはドリス・ディ」。彼女は米国の歌手・俳優で、センチメンタル・ジャーニーやケ・セラ・セラの曲でもその名を知られていますが、日本派遣団へ全米の映画スター100数十名のサインがあるボードをプレゼントするために、彼女が直接来訪しました。通常はスカウト代表が受け取るべきところ、大石隊長がスカウトを押しのけて頂戴したのではと邪推していますが、大石隊長、当時まさに22歳。我が国のライオンズクラブ重鎮として23WSJ支援募金でお世話になっていますので、皆さんはため息まじりで取りあえずは許す事に。ただそのボードは、各地訪問の際、どこかで盗難にあったとお聞きしました。「なんでも鑑定団」を思い出しながら、残念な思いを。

 そのようなお話が続き、2時間はあっという間に過ぎ去りました。いつもながらEO会は、興味深く楽しいお話が飛び出します。ありがとうございました。

【追記】
・この日ご出席のほかの皆さんも、世界ジャンボリーへ派遣されています。全米大会の二年後に開催された、カナダでの1955年第8回世界ジャンボリーには鈴木高さん(大田第13団)・石田文夫さん(元日連常務理事)が参加しました。




     
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       【記念品贈呈】
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2013年07月14日

平成25年8月EO会

8月EverOnward会は、大石和夫会長を囲む懇談会です。今回ご案内は、以下の通りです。


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                                平成25年7月4日
 EO会々員各位 
                                 EO会世話人
             8月「EO会」のお知らせ

拝啓 皆様ご健勝にてお過ごしのこととお慶び申し上げます

 さて、今年はEO会々長の大石和夫様が1953年に全米ジャンボリーに派遣されてから、60年を迎えました。戦後、混乱期の日本からボーイスカウトとして最初の派遣団で、大石様は隊長として派遣されました。派遣団の団長は松平頼明様で総員13名の派遣団でした。
今回の「EO会」は定例の講座形式を変え、EO会々長の大石様からこの60年目の節目に当たり当時のお話などをゆっくりと聞かせて頂くために懇談会としました。

 いつもの開催時間を少し早め、昼食をかねながらゆっくりと皆様で懇談できるよう自由に動ける立食ビュッフェ方式にしました。勿論椅子も用意してあります。また、恒例の会員皆様の自慢の品等をご持参頂き、ご披露頂ければ幸いです。なお、毎回EO会に参加されている藤田忠昭様は、この派遣団参加スカウトです。

 今年の夏は世界ジャンボリーのプレ大会等もあり皆様ご予定の多い時期ですが、他では聞けない貴重なお話なども沢山あると思いますので、ぜひご参加下さい。

                                      敬具
                 記

 「戦後最初の
   ボーイスカウト日本連盟派遣団隊長 大石和夫様を囲む懇談会」

    日  時  平成25年8月31日(土曜日)
           12:00〜12:20 派遣団60周年を迎えて
           12:30〜14:30 懇談会
    場  所  日本記者クラブ 会議室
           東京都千代田区内幸町2−2−1
           日本プレスセンタービル9階
    会  費  5,000円
    お申込み 7月25日までに、下記連絡担当者まで
           今回担当 坂本 正志

                         以上

 [EVER ONWARD]=
「最善を尽くせ!」「限りなき前進!」を目標として、
理想の峰を目指し自己研鑽(Self-Scouting)する。 

posted by 日本富士スカウトクラブ広報 at 16:43| Comment(1) | TrackBack(0) | EverONwardの会