2017年01月29日

北鎌倉円覚寺龍隠庵と宗教章

 12月31日は、この日本富士スカウトクラブの創設をご提案の村山有先生のご命日です。


 村山先生は、世界会議ご出席のために香港へ向かう船中で急逝し、本来は水葬となるべきところ、各界の皆さまの働きかけで香港で荼毘にふされました。個人的な事で恐縮ですが、このブログの保守を担当する私も、先生が隊長をであった東京149団ローバー隊に所属していましたので、他の隊員と共に、ご遺骨を羽田空港までお迎えに上がった事を記憶しています。なお、葬儀は翌年1969年1月12日に、東京連盟葬として築地本願寺で執り行われました。お墓はこの円覚寺内にあります。


 この記事は別ブログに掲載しましたが、記録として留めるため、文章を整えてこのブログへ掲載させて頂きます。


 ご存知の方もいらっしゃいますが、信仰を持つことを推奨するボーイスカウト運動に、宗教章を提案したのは村山先生。1960年の全国会議で提案、最初の宗教章である仏教章として、創設が採択されています。

 実は円覚寺、仏教章と、ご縁が深いのです。この円覚寺朝比奈宗源第十代管長は、米国政府の招きをうけて渡米していた時期があり、「下宿先」は村山先生のご実家でした。村山先生のお母さんは医師で、米国で開業していたのです。そのような訳で、お二人には親交があり、宗教章創設を考えた村山先生は、宗教、信仰、神、仏等の話をなさったのでしょう。そのご縁もあって、先立たれた村山先生の葬儀では朝比奈管長が導師となり、宗派の異なる築地本願寺でいとなまれました。お墓が円覚寺にあるのは、朝比奈管長の前に円覚寺第八代古川堯道管長も渡米時、同様に村山先生の実家のお世話になった様子で、そのご縁かと。因みに先生は米国シアトル生まれで、終戦直後に、何かと有利であった米国籍を放棄して日本国籍を取得しています。青春時代には、来日して旧制松本中学(現在は松本深志高)で学びましたが、その後帰国し、大学卒業後、サンフランシスコなどで新聞記者となりました。1938年に再来日しています。来日後はジャーナリストとしてご活躍し、戦後は占領軍司令部で出会った学生時代の友人の多大な協力も得て、戦後ボーイスカウト運動再建に多大なご功績がありました。最終的にはジャパンタイムス社の社会部長や渉外部長をお勤めです。一時期、早稲田大学の講師もお勤めで、早稲田ローバースの隊長もお願いしていました。

 それはともかく、朝比奈管主とお話をした場所は、この写真の建物です。当時は龍隠庵(円覚寺塔頭のひとつ。現在は円覚寺境内の別の場所へ移動)でしたが、しばしば徹夜なさる事もあったとか。

 写真を撮りながらゆっくりと建物を拝見しましたが、おそらく建坪は4〜5坪程度で、小さなお堂(?)です。眺めていて、ちょっと楽しくなりました。これを機に、改めて村山先生のあれこれを、継続してご紹介したいなと思っています。
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2016年09月19日

日本連盟評議員会副評議員長 宮田 勝さん

 平成28年8月27日(土曜日)午後1時から、東京・内幸町の日本記者クラブ会議室において、ボーイスカウト日本連盟評議員会副評議員長宮田勝さんの「私とボーイスカウト運動」とでもいうような、スカウト経験をお持ちではないお立場からの、率直なお話を拝聴する会を開催しました。

 宮田さんは本田技研工業株式会社社友で、在職中は代表取締役専務としてご活躍なさいました。ボーイスカウト関係では、日本連盟評議員の他に、20年間にもわたり、東京連盟維持財団理事(現常務理事)もお務めです。ご承知の通り、ボーイスカウト東京連盟維持財団は、本田技研の本田さん、ソニーの井深さん、東急の五島さん、ブリジストンの石橋さんなどが中心となり、スカト運動を支援するために出来た組織です。宮田さんは本田宗一郎さんの後任として、本田さんの人造りのお考えなどを継承して、この20年間にわたりボーイスカウト運動を支えてくださっています。

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 お話は本田宗一郎さんのボーイスカウトとのかかわりから。

 維持財団は、本田さんがソニーの井深さん、東急の五島さん、ブリジストンの石橋さんとご相談、青少年の健全育成のために創設されたとお聞きしました。

 本田さんのボーイスカウト運動とのかかわりは、三島通陽総長のお話が大きな契機となったそうです。私たちの運動の

 ・野外を主な活動の場としていること
 ・パトロールシステム
 ・報いを求めぬ奉仕活動

に、特に共鳴してくださいました。この三点は、本田技研在任中に宮田さんが、管理職に登用された社員の皆さんへの基調講演の中で、つねに申し上げているとの事でした。

 続いてお話は、ボーイスカウト運動の現状に付いて。

 やはり加盟員減少が残念とおっしゃいます。街頭でスカウトの姿を見かける事が少なくなった、また、保護者などのニーズに対応しきれていないのかとも。評議員会でも常々おっしゃっているとの事でしたが、「反応はちょっぴり鈍い」との事。失礼ながら皆さん、聴こえなかったフリではと思いますが。

 次に富士スカウト。例年、東京連盟の富士スカウトへお話をする機会があり、そのおりのご感想を。
 お話の様子では、努力して富士章を取得した諸君であるにもかかわらず、例えばチャレンジングとでもいう姿勢がもっと欲しいとのご感想です。

 宮田さんは、かつて、富士スカウトを無試験・無条件で採用する企業が存在した時期をご存知です。ボーイスカウトとして活動したことを誇りとする時代の再来を、期待していらっしゃいます。

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2016年07月17日

23rd世界スカウトジャンボリーのご報告 関連資料

 23rd世界スカウトジャンボリー派遣団 牛山佳久副派遣団長によるご報告時に、埼玉連盟が制作した「23WSJ写真集」を頂きました。A4カラーで印刷され、殆どが写真ですが、参加スカウトやスタッフのお名前、そしてと支援を頂いた個人や団体、企業のお名前も掲載されています。

 すべてはご紹介できませんので、表紙と目次のみを。
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 続いて当日配布されたレジュメです。
 このレジュメに基づいて、前記事にある通りのさまざまなエピソードなどをお聞きしました。

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 ご報告が終えた後、集いは歓談の時間となり、皆さんのご感想などが続きました。


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2016年07月13日

23rd世界スカウトジャンボリーのご報告(牛山日本派遣団副団長)

  平成28年2月20日(土曜日)午後1時から、恒例の日本富士スカウトクラブ主催「Ever Onwardの集い」が開催されました。

 今回は第23回世界スカウトジャンボリーで、日本派遣団副団長という大役でご活躍の埼玉県連盟牛山佳久さんから、世界スカウトジャンボリー開催にあたってのご苦労や裏話などを含めて、「今だから話せる貴重なお話」などを伺う得難い機会となります。牛山さんは日本連盟評議員の他、埼玉連盟理事長をお務めで、埼玉連盟和光第1団・東京連盟新宿第2団早稲田ローバースのご出身です。

 23rdWSJ開催前のとある日、富士スカウトクラブのメンバーが、電車の中で牛山さんとお会いしました。どちらへとお伺いすると「世界スカウトジャンボリーをご支援の企業へのご挨拶です」とのお答え。その額の多寡にかかわらず、すべてのご支援を頂戴した企業を訪問してお礼を申し上げているとの事で、以来、私たちの間では「もっとも働く理事長」との尊称をお名前の前に付け加えさせて頂く事にしています。23rdWSJ期間中、日に日に痩せ細るが如き印象の写真ばかりであり、本気で心配させて頂いた記憶があります。

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 定刻、集いは大石和夫会長のご挨拶で始まりました。23rdWSJに際し、所属するライオンズクラブへ働きかけ、参加全派遣隊へ配布された「風まるくん(イワタニ製卓上コンロ)」やタープなどの贈呈にご尽力いただきました。

 続いて牛山副派遣団長。内容は多岐にわたりますので、其のうちのいくつかをご紹介させて頂きます。

・東日本大震災や福島原発被害により、WOSMから「中止しては?」との連絡がありました。アメリカ連盟からは開催を肩代わり、アメリカでの開催も可能とのお話が。ヨーロッパの各連盟は原発被害を懸念する声もあり、日本側は結構困惑した様子です。

 ご承知の通りWOSMは参加国を区分、Aランクは参加費が25,000円、Bは50,000円、Cは75,000円、そしていわゆる先進国はDランクの100,000円。経済力に応じて、負担額が異なります。ヒロシマに関連してアメリカは参加者数が激減しましたが、ヨーロッパからの参加者が減ると開催費用が不足するために、頭を抱えた様子でした。他に韓国も政治的な問題などで直前まで参加者数がはっきりせず、何かと多難な開催であったでしょうね。

・「ゆめ基金」
 現地の様子を見た安部首相が、排水の悪さなどを見てさらなる手当てを指示された様子です。ところが財源がなく、止む無くこの基金の一律カット。結果、どこの団体も給付が20%前後減少したとか。政権の主要閣僚の秘書にローバースOBがいて、冗談で「余ったら返してね」と言われたとか。

 耐えて下さった他団体の皆さん、本当にありがとうございます。

・日本ガールスカウトの参加
 ボーイスカウト側の不手際で、GS連盟への様々なご連絡が大幅に滞ってご迷惑をおかけしたたとのお話がありました。ふと思い出したのですが、かつて女子加入に際しても、似たような件があったのを思い出しています。

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・IST
 世界ジャンボリーだから来たのではなく、それが日本で開催されるから来たとおっしゃる海外指導者の方が多かったとお聞きしたことがあります。

 国内からのIST要員の"シフト制"は、「ありえない!」との反応。大学生が試験期間中で、終えてから現地入りの方々が多く、調整にとてもご苦労があった様子です。

・ガリガリくん
 とても好評を博したようですね。
 牛山さんが小鼻をヒクヒクの自慢話によれば、赤城乳業は埼玉県に本社があり、積極的なご支援を頂戴した様子です。また、同社の役員が元ボーイスカウトという事もあり、卸値にご配慮を頂きました。

 当初、一本100円での販売を考えたそうですが、地元スーパーが50円と聞き、泣く泣く(未確認)それにあわせたとか。某国派遣団(ハンガリーなのですが、伏せておきます)は250円で販売を開始、連日、値上げしろとの要求もあったとか。結局は撤退したそうですが。

・トイレやゴミの問題
 ISTの皆さんから悲鳴が上がっていましたが、国情の相違もあるのでしょうが、相当にご苦労をお掛けしました。トイレの中にペットボトルが捨てられて詰まり、シャワーにもトイレと「勘違い」をした例が多々ありました。トイレ清掃のボランティア部隊出現は、とても嬉しいニュースでしたね。

・日本派遣団結団式
 各隊10名開催されました。当初は欠席予定であった奥島理事長も参加、「ギモンだったが、日本のスカウトは素晴らしい」とのお話がありました。それを聴いた皆さんの感想は「理事長は何を言ってるのだろう」ではなく、「誰が理事長にそんな事を吹き込んだのだろう」でした

・お話の中で、愛知連盟のご協力が度々話題になりました。会社の元スカウトの社員を引き連れ、トラックまで持ち込んだ永井理事長への感謝が度々ありました。

・ホームステイ
 ジャンボリー前後、多くの参加者がホームステイをしました。埼玉連盟では約500名の台湾・イギリス・デンマークスカウトが埼玉入りをしました。埼玉県の積極的なご支援(資金提供等)も頂戴して、とても有意義なプログラムであったとのご感想です。


 まだまだ興味深いお話は続きましたが、書き切れません。ありがとうございました。そして本当にご苦労さまでした

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2016年04月20日

「ボーイスカウトの行進」

NHKテレビでボーイスカウトが取り上げられました。
「昭和26年(1951年)
ボーイスカウトの行進
4/13はボーイスカウト日本連盟が発足した日にちなんだ「ボーイスカウトの日」。映像は昭和26年に行われた大会&行進の様子。眼光鋭いオジサンは日本ボーイスカウトの生みの親!」と説明されています。

 このブログの機能では写真にリンクを張る事ができませんので、ご覧になるには以下のurlをクリックしてください。


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 昭和26年(1951年)、日本ボーイスカウトの生みの親・クラーレンス・グリフィン氏(イギリス)を迎えて行われた、日本ボーイスカウト東京都連盟の隊旗授与式。日の丸をかざした3000人の少年たちが皇居前広場に集まり、式後はブラスバンドを先頭に日比谷から銀座通り、八重洲口へと行進を行った折りのものです。この日本富士スカウトクラブのブログのTOPで簡略に記載していますが、この式典を開催した東京連盟の村山有初代理事長はクラブ創設の発案者。GHQ(占領軍)に掛け合い、戦後日本のボーイスカウト運動を再建させた功労者。ニュースの中で各隊代表者へ隊旗を授与しているのは、その村山理事長です。なお、この時代にテレビはなく、このニュースは全国の映画館で上映されたものと思われます。

 さらに別記録では、「昭和26年(1951年)11月3日、村山理事長は「東京都連盟百隊結成記念祝典」を皇居前広場で挙行。GHQからも多数の要人が出席した。新春の隊旗授与後の新隊にも「緑色隊旗」を授与する。夜は日比谷公園で大営火を行う」とあります。

 当日各隊に配布した東京都連盟の緑色隊旗は、日本連盟から「隊旗の色は原隊のネッカチーフの色を使用する規定であり、今後使用しないように」と通達が出されました。しかし東京都連盟は、「緑の隊旗は日米スカウトの「友情の印」として使用を続けます。日本連盟はこの隊旗の使用を認めず、日本連盟と東京連盟の"大喧嘩"に発展しました。このことは、当時の朝日新聞でも報じられています。
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2016年02月19日

三島昌子さん、ご尊父三島通陽総長の思い出を語る

記録のため、他ブログの活動報告を転載しました

 平成23年2月26日午後、内幸町の日本記者クラブ会議室で、日本富士スカウトクラブ主催「EVER ONWARDの集い」が開催されました。

 毎年二度、2月と8月に記者クラブで開催されるこの会は、「EVER ONWARDの集い(略称EO会)」と呼ばれ、"最善を尽くせ!・限りなき前進!で目標,理想の峰を目指し自己研鑽(Self Scouting)する"を主旨とするもので、ボーイスカウト運動に付いてのさまざまな話題を取り上げて、かかわった皆さんのお話を拝聴しています。

 今回はガールスカウト日本連盟元会長でもあった三島昌子(あきこ)さんをお招きして、戦後のボーイスカウト再建に始まり、長年にわたってその発展に貢献されお父上、三島通陽総長の思い出をお話して頂きました。ご高齢にもかかわらずとてもお元気。参加者の中には三島総長ご夫妻に媒酌の労をおとりいただいた方も。新郎もご媒酌人も制服姿です。

 随所に笑い声が沸き起こるなど、とても和やかなひと時を過ごす事ができました。本当にありがとうございました。

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【中央が三島昌子さん、左は大石和夫日本オールドスカウト世話人、右は阪下朝一日大ローバース桜門会長】

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【開催の都度、貴重な資料などが皆さんからご披露されます。ご媒酌の労をおとりになった際のお写真です】

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【参加者記念撮影】
 
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2016年02月08日

EO会開催のご案内

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 日本富士スカウトクラブが開催するEO会開催のご案内です。昨年に発送され、すでに参加申込受付は終了しています


EO会会員各位
                                                                       EO会会長  大石 和夫
                                                                       EO会  世話人一同

                            [EVER ONWARD]の集い(略称EO会)開催のご案内

三指  今年は日本で2度目の世界スカウトジャンボリーが開催された記念の年でした。2回以上の開催国を挙げるとイギリスが最多の4回で、3回が無く、2回の開催国はカナダ、オーストリア、オランダ、そして日本の4ヶ国です。あのアメリカが、まだ1回というのは驚きます

 世界スカウトジャンボリーを開催する大会関係者には相当前から準備の必要があり、大変なご苦労があったと思います

 今回の「EO会」は、第23回世界スカウトジャンボリーで日本派遣団の副団長という大役でご活躍された、埼玉連盟理事長の牛山佳久様から世界ジャンボリー開催にあたってのご苦労や裏話などを含めて、今だから話せる貴重なお話などを伺う集まりを下記の通り開催します

 なお、今回の「EO会」開催日は例年の2月最終土曜日ではなく、一週前の土曜日になりますのでご注意下さい。出席希望者は会場の都合も有りますので、必ずお申込みのうえご出席下さい(お申込み〆切りは1月5日)。
                                                                                                          弥栄
                                                        記

 日時 2016年2月20日(土曜日) 13:00〜15:00
 場所 日本記者クラブ小会議(千代田区内幸町日本プレスセンタービル)
 次第   開会
    ・第一部(13:00〜14:20)
     挨拶 大石和夫EO会会長        
     講演「第23回世界スカウトジャンボリー、他」
                  埼玉県連盟理事長   牛山佳久様
    ・第二部(14:20〜15:00)
     懇談
     閉会 15:00

 会費 1,000円

以上

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2016年01月25日

【転載】富士スカウトクラブ「EOの会」、中村ちーやんを語る会を開催

 このブログは、日本富士スカウトクラブの公式サイトです。
 しかし、fuji-scouts-club.jpのドメインを取得する以前は、個人のブログで活動のご報告を掲載していました。

 数年前からはこのブログでも活動内容のご報告を行っていますが、別ブログに掲載されている記事どがこちらには未掲載という箇所もあり、記事を整理してこのブログに掲載する作業を行っています。

 今回はその最初として、2008年8月に開催された「中村 ちーやんを語る会」を転載致します。


・富士スカウトクラブ「EOの会」、中村ちーやんを語る会を開催

 '08年8月30日午後、内幸町の日本記者クラブで、富士スカウトクラブ主催の「EOの会」が開催されました。この会は毎年二度、その時々の興味深いテーマでの講演があり、今回は早稲田ローバース(東京第149団青年隊・現新宿第2団ローバー隊)創立のメンバーのお一人である粕谷信夫さん。小学校の校長先生で退職され、現在は幼稚園の園長先生。粕谷さんの奥さまは、中村知(ご存知、ちーやんです)さんのお嬢さん。

 改めて申し上げるまでもなく、中村知さんは戦前から日本ボーイスカウト運動発展に深くかかわり、大きな貢献をなさった事はご存知の通りです。スカウトソングの作詞作曲、数多くの翻訳とその思想の普及活動、そして「ちーやん夜話集」などで私たちはお世話になっています。特に、夜話集の中の「ローバーリングは電源である」はよく知られています。「単位団でも地区でも県連でも、ローバースカウトの発電力がなかったら、機械はうまく動かないだろうと、思う」と。

 当日、粕谷さんから中村さんの大学ノートなどが回覧されました。それには原文と邦訳が、きちんと整理され書き込まれています。目がご不自由で、天眼鏡を手放せなかったとお聞きしましたが、中村さんのスカウティングへの情熱が強く感じられるノートです。
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 何人かがお帰りになりましたが、ご参加の皆さんの写真です。中央の女性は中村知さんのお嬢さん、その右は粕谷信夫さんです。
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 会の最中、粕谷さんのお話を受けての発言が続出したり、終了後、あちこちで思い出話の花が咲きました。会は午後4時お開きとなりましたが、それからも2時間近く、幾つかのグループができて場所をかえ、お話が継続しました。様々に語られるお話の内容は、何らかの形で記録、掲載したいものと感じています。神奈川連盟の矢島巌さんが「先達十話」シリーズで有償配布していますが、そこまでの力はありませんので、ウェブサイトを作り、皆さんの興味深いエピソードをご紹介しようかと考えています。
・矢島巌さんのウェブサイト http://www.vistaworld21.com/

 なお、中村知さんの「ちーやん夜話集」は、以下のurlからご覧になる事ができます


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2015年12月27日

メソニック協会見学会

 平成27年11月28日土曜日  日本記者クラブでの定例の「EO会」の形を変えて「見学会」が企画されました。今回の見学会は、戦後のボーイスカウト再建時に、最初の事務所を置いた元海軍将校クラブ「水交社」、現在の「東京メソニックビル」を見学しました。位置は東京タワーの見学者入口のすぐそばになります。
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【メソニックビル】

 当時の水交社は連合軍総司令部(GHQ)に接収されて米軍が使用していましたが、その水交社ビルに、ボーイスカウト日本連盟と東京連盟の事務所を置き、戦後の最初の事務所としています。また、今では考えられない事ですが、GHQの最高司令官マッカーサー元帥に日本ボーイスカウト連盟の名誉総長をお願いして受諾いただき、その名誉総長室も水交社ビル内に置かれました。

 現在は水交社の建物は建て替えられて残っていませんが、マッカーサー元帥が名誉総長室として使用していた当時の家具やマントルピース等の装飾品などはそのまま残し、復元された部屋が保存されています。

 今回は東京メソニック協会のご好意により、復元されたメーソンのマッカーサー名誉総長室や、ロビーの日本メーソンの初期メンバーだった三島通陽ボーイスカウト日本連盟総長や村山有日本ボーイスカウト東京連盟理事長の名誉ネームボードや、メーソンの非公開儀式室などを見学しました。
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【名誉ネームボード】

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【スコティッシュ・ライト・ホール】

 当時、東京連盟のボーイスカウトと米国ボーイスカウトとの交流は水交社ビルで度々開催され、野外での交流行事は渋谷の米軍基地ワシントンハイツ(現在のNHK、代々木公園)で開催される事がありました。交流会には米国極東連盟から、ホットドッグやアイスクリーム等のプレゼントがあって日本のスカウト達をとても喜ばせましたが、コカコーラは初めて経験する味で、日本のスカウトは最初ほとんど飲めませんでした。しかし回数が重なる内に先輩スカウト達はコーラも飲める様になり、コーク、コークと通ぶっていたそうです。EO会の常連である山口陽さんはこの日は参加出来ませんでしたが、後日、この交流集会へ参加していたとお聞きしています。

 また、当時水交社ビルでは力道山が相撲を辞めてプロレスラーになるためにマットを敷き、米国人レスラーから手ほどきを受けていたり、外国人の出入りも多く、戦後歴史の一端を、垣間見る事の出来る場所であったようです。

 今回のEO会の見学は、戦後の日本ボーイスカウト日本連盟がスタートした場所を見学すること、メーソンのマッカーサー元帥が日本のボーイスカウト名誉総長を受諾して、他のメーソンの皆さんと協力して支援の輪を拡げ、運動が拡がっていった事を再認識する見学会になりました。戦後、短期間で全国に数多の団が創設され、公務員や教員が責任者やリーダに就任しています。これは何か「特別な力」が働いたのだろうと、容易に想像することができます。戦後、掲揚を厳禁されていた日の丸ですが、それを最初に掲げ、さらに銀座通りをパレードまで行ったのはボーイスカウトです。当時の東京連盟責任者であった村山有さんはMPにGHQに連行され、「逮捕されるのを覚悟していたが、国旗の尊厳を知らしめる活動は良い事」と、むしろ励まされたとその著書の中で書いています。

 見学後復元されたマッカーサー元帥の名誉総長室で 東京メソニック協会の竹田真也様から現在のメーソン事情などを伺いながら懇談をして解散しました。
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【名誉総長室 マントルピース】
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【名誉総長室 シャンデリア】
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【名誉総長室】
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2015年09月21日

2015年8月 EverOnwardの会 開催のご報告

 2015年8月29日、恒例の[EVER. ONWARD]の集い /(略称EO会)が内幸町の日本記者クラブ会議室で開催されました。今回のテーマは「1955年ボーイスカウト第8回世界ジャンボリー(カナダ)に参加して60年」です。

 今年の夏は日本の山口県山口市きらら浜で第23回世界スカウトジャンボリーが開催されましたが、EO会会員の鈴木高様と石田文夫様が1955年(昭和30年)にカナダで開催された第8回世界ジャンボリーに日本派遣団員として厳しい選考の結果選ばれて派遣されています。派遣当時はまだ一般の海外渡航は許可されず日本から海外に出かける方は非常に少なく今では想像も出来ない苦労も沢山あった時代です。

 今回の「EO会」は鈴木様、石田様が派遣されて60周年目の節目に当たりますので、お二人から、第8回世界ジャンボリーのお話を中心に当時の貴重なお話を聞かせていただきました。

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【第8回世界ジャンボリー参加章】

 まずEO会の大石和夫会長のご挨拶に始まり、鈴木、石田両氏から資料が配られ、資料に沿って第8回世界ジャンボリーのお話を聞かせていただきました。派遣団は久留島秀三郎団長以下リーダー3名、スカウト10名の派遣団でしたが、渡航方法が今では考えられない方法で、先発隊・別隊・本隊の3つに別れての派遣団であったとの事です。

 7月20日に三笠宮様より派遣団国旗を賜り、先発隊は7月22日に名古屋港から「山里丸」で、別隊は8月1日東京芝浦港から「日向丸」で、そして本隊は、8月6日横浜港から「高花丸」で出航しました

 貨物船の為に荷積の関係で航路などはその都度代わり、到着地も確定しない渡航でした。先発隊は8月6日にカナダのバンクーバーに到着し、16日にはジャンボリー会場に入りました。別隊は20日にジャンボリー会場に到着。本隊は21日サンディゴに入港、そこから飛行機でジャンボリー会場に向かい、翌日の22日に会場に到着しました。

 ジャンボリーは8月22日から28日の期間でしたが、その後10月の初めまで各地の観光をしながら日系人の方々とパーティなどで親交を深めながら、帰路も3隊に別れて帰国しました。

 1隊は9月7日ポートランドより「高東丸」で出航して9月25日名古屋港到着、2隊は17日シアトルから「建川丸」で出航、10月2日横浜港到着。第3隊は20日「氷川丸」で出航、10月4日横浜に到着  しました。その後、11月6日に第8回世界ジャンボリー派遣団「解団式」を東京椿山荘で行っています。

 この様に3つに別れての派遣団は今では想像もつかない事ですが、当時は1ドル360円の時代であり、持ち出せる金額も500ドル位と制限されている時代でしたから、少しでも安い方法という事でこのように分かれたものとご説明がありました。貨物船では乗船可能な旅客数が少なく、別れて乗る事となったのでしょう。また当時はパスポートは無く、ジャンボリーに参加するという写真付き証明書のカードで出国入国のサインをしたそうです。

 EO会の第一部は貴重なお二人のお話でしたが、第二部は第23回世界スカウトジャンボリーにEO会出席者の14名の皆さんが奉仕や見学で参加しましたので、順に皆様のお話を伺いました。70歳台、80歳代の方々が全期間奉仕をされたりしていましたので話は尽きず予定時間を大幅に過ぎた会になりました。

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【ご出席の皆さん】

 ちなみに大石和夫会長はライオンズクラブのメンバーで、日本連盟などからの要請でライオンズクラブの皆さんへご協力を要請、賛助金の他に、全派遣隊へ炊飯用コンロとタープを提供して頂きました。ご承知の通り、ライオンズクラブとボーイスカウトは、その「根」は同じです。いわば兄弟とでもいえる団体ですが、ご支援に感謝したいと思います。ありがとうございました。
 写真は今回開催のジャンボリーで会場内に置かれたライオンズクラブのブースです。左から神奈川連盟矢島巖さん、大石和夫EO会長、富士スカウト・衆院議員・文科省政務官・山本ともひろさん、そして右端はが東京連盟高橋勝興さん

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 また、今回のジャンボリーのご感想をそれぞれお話頂いた折り、
「世界スカウトジャンボリーだから日本に来たのではなく、日本で開催される世界ジャンボリーだから来たのです」
とおっしゃる海外からの派遣隊の方が実に多数であったとか。とてもうれしい事です

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