2017年12月15日

平成29年8月26日開催Ever Onwardの集いご報告

 ご報告が遅くなりましたが、平成29年8月26日(土曜日)午後1時から、日本記者クラブ会議室において、日本富士スカウトクラブ主催「Ever Onwardの集い」が開催されました。

 今までのこの会は、ボーイスカウト関係の方々からの貴重なご経験などをお聞きすることが多かったのですが、今回は、1964年開催の東京オリンピックで、ジェット機(F-86)で五輪をお作りになった、航空自衛隊ブルーインパルスの藤縄忠さんをお招きしました。

 大石会長のご挨拶に続き、藤縄さんのスピーチが始まりました。
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 この準備が開始されたのは開催の1年半ほど前からで、依頼は「貴賓席からもっとも綺麗に五つの輪が見えるように」。高度は赤坂上空3,000m、時速4600kmとして計画が作られてパイロット6名(お一人はピンチヒッター)が選抜されました。

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 今であればコンピュータで計算もできるでしょうが、高機能なレーダもなかった事もあり、すべてカン。相当なご苦労があったようです。訓練では一度も成功せず、開会式前日を迎えました。その日は大雨で、こりゃ飛べないと、居酒屋をハシゴで午前さまとお聞きしました。翌朝目を覚ますと好天で、皆さん急ぎ基地に向かったようです。

 江の島上空で待機、予定の時刻に競技場へ向かいます。一つの輪の大きさは6,000フィートで、上段3つと下段2つの輪の間隔は1,000フィート。訓練では失敗続きだったが、本番では成功したと藤縄さんはおっしゃいましたが、見事な五輪が会場から遠望できました。本番に強い、パイロットの皆さんであったようですね。
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 私たちにとりましては未知の分野のお話であり、とても興味深い内容でした。ありがとうございました。2020年の東京オリンピック開会式では、まだ実施は確定していないようです。


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2017年12月13日

日本富士スカウトクラブ創立50周年記念パッチ

 このブログのトップにある通り、日本富士スカウトクラブは1968年に村山有東京連盟初代理事長により創設の準備が開始され、翌年に発足しています。

 ご承知の通り1971年に、第13回世界ジャンボリーが朝霧高原で開催されました。それに先立つ1968年、村山は日本連盟相談役で第一線から身を引いていましたが、「どうしてムラヤマが会議に出席しないのか」との海外からの要請で、急遽日本側代表として世界会議へ出席のために香港へ向かいましたが、その船中で、病のために急逝しました。12月31日のことです。享年63歳でした。

 それから50年。2005年12月には、日本富士スカウトクラブが生誕100周年を記念しての集まりをプレスセンタで開催しましたが、今回は歿後50年とクラブ創設50周年の節目に、パッチを作成しましたのでご紹介させて頂きます。

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2017年09月05日

EO会配布資料

 平成29年6月24日(土曜日)のEO会で配布された、前世話人の村山至さんの資料をご紹介します。

 終戦後70年以上も経過し、資料内にある皆さまも、そのほとんどの方が鬼籍に入りました。この際、終戦直後のボーイスカウト運動再建の動きの中での幾つかのエピソードを、村山有東京都連盟初代理事長の再建活動を中心にご紹介する事は、運動の歴史としてとどめ置く必要を感じています。ちなみに村山至さんは、村山有さんのご子息です。

 ジャーナリストであった村山有さんは、竹下勇少年團日本連盟第三代総長でと親交があり、戦時中は目黒の村山さん宅へ疎開していましたが、終戦のその日、解散を余儀なくされたボーイスカウト運動の再建を託されていました。敗戦直後の占領軍進駐あたりから同志と共にボーイスカウト運動再建に奔走し、みごと再建を果たしました。

 しかし、旧少年團出身者との"確執"めいたものがあったのでしょうか、わずか5年足らずで日本連盟相談役に祭り上げられ、運動の表舞台から去りました。もちろんその後も運動を担うお一人として活動は継続なさいましたが、朝霧高原での第1回世界ジャンボリー開催のために開かれる世界会議が、「ムラヤマが来ないのはおかしい」となり、出席のために急ぎ香港へ向かい船中で、残念ながら病のため急逝しました。

 ご紹介する資料はEO会ご参加の皆さん向けに作成されたものですが、記録としてとどめ置く価値があり、あえて掲載させて頂きます。

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AEO会歴史EPSON005.JPG
B村山有の知らない話EPSON006.JPG
C村山有のしらない話EPSON007.JPG

D竹下勇総長EPSON009.JPG
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F追悼 藤山一郎EPSON008.JPG
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2017年08月08日

平成29年6月24日、日本富士スカウトクラブ主催「Ever Onwardの集い」

 平成29年6月24日(土曜日)午後1時から、内幸町日本記者クラブ会議室において、恒例の日本富士スカウトクラブ主催「Ever Onwardの集い」が開催されました。この会は毎年2月と8月に開催されてますが、今回は6月の開催です。

 この会はその都度お客さまをお招きして、ボーイスカウト関係の話題をお話頂くのが中心でしたが、今回はこの会の世話人のお一人である日本記者クラブ会員村山至さんの、戦後ボーイスカウト運動に付いてのお話が中心となりました。

 村山さんのお父上は初代東京連盟理事長であった村山有さんであり、戦後のボーイスカウト運動再建に中心的な役割を果たした方です。村山有さんなくして再建はならなかったであろうと、そう痛感しています。米国生まれの二世で、戦後すぐに運動再建に立ち上がり、占領軍司令部(GHQ)へ働きかけて再建を果たしました。しかし、そのご功績は意図的に伏せられて、連盟史上で見かけることはほとんどありません。わずか4年で運動の道筋をつけ、そして連盟相談役へと祭り上げられて表舞台から去りました。遠い時代のお話ですが、現在、日本連盟総長室には歴代総長のお写真と共に、数年前から村山有さんも掲げられているとお聞きしました。

 それはともかくとして、村山至さんのお話は、オールドスカウトクラブ創設や、戦後の一時期、日本大学でボーイスカウト講習会が開催されたとのお話から始まりました。お話は多岐にわたり、とりあえずオールドスカウトクラブに付いてのお話で配布されたレジュメからご紹介します。作成次第、残る興味深い内容のお話もご紹介する予定です。
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2017年06月12日

少年団日本連盟第三代総長 竹下勇さん

 旧少年團日本連盟第三代総長は竹下勇さんでした。先日ご紹介した、昭和天皇の英国訪問時にB-Pからシルバーウルフ章を贈られた折の、同行者のお一人。旧海軍軍人で、海軍大将でした。

 その竹下総長の団杖と制服の写真が手に入りました。ご覧のとおり、とても綺麗に保管されています。さほど遠くない日、公開されるかも知れません。その時にはまたお知らせしますので、どうぞ現物をご覧ください。なお、写真の上をクリックすると、その都度画像が大きくなります。

 原宿・竹下通りですが、この竹下さんのご自宅があったところで、そのご縁で命名されたと知りました。
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2017年01月29日

北鎌倉円覚寺龍隠庵と宗教章

 12月31日は、この日本富士スカウトクラブの創設をご提案の村山有先生のご命日です。


 村山先生は、世界会議ご出席のために香港へ向かう船中で急逝し、本来は水葬となるべきところ、各界の皆さまの働きかけで香港で荼毘にふされました。個人的な事で恐縮ですが、このブログの保守を担当する私も、先生が隊長をであった東京149団ローバー隊に所属していましたので、他の隊員と共に、ご遺骨を羽田空港までお迎えに上がった事を記憶しています。なお、葬儀は翌年1969年1月12日に、東京連盟葬として築地本願寺で執り行われました。お墓はこの円覚寺内にあります。


 この記事は別ブログに掲載しましたが、記録として留めるため、文章を整えてこのブログへ掲載させて頂きます。


 ご存知の方もいらっしゃいますが、信仰を持つことを推奨するボーイスカウト運動に、宗教章を提案したのは村山先生。1960年の全国会議で提案、最初の宗教章である仏教章として、創設が採択されています。

 実は円覚寺、仏教章と、ご縁が深いのです。この円覚寺朝比奈宗源第十代管長は、米国政府の招きをうけて渡米していた時期があり、「下宿先」は村山先生のご実家でした。村山先生のお母さんは医師で、米国で開業していたのです。そのような訳で、お二人には親交があり、宗教章創設を考えた村山先生は、宗教、信仰、神、仏等の話をなさったのでしょう。そのご縁もあって、先立たれた村山先生の葬儀では朝比奈管長が導師となり、宗派の異なる築地本願寺でいとなまれました。お墓が円覚寺にあるのは、朝比奈管長の前に円覚寺第八代古川堯道管長も渡米時、同様に村山先生の実家のお世話になった様子で、そのご縁かと。因みに先生は米国シアトル生まれで、終戦直後に、何かと有利であった米国籍を放棄して日本国籍を取得しています。青春時代には、来日して旧制松本中学(現在は松本深志高)で学びましたが、その後帰国し、大学卒業後、サンフランシスコなどで新聞記者となりました。1938年に再来日しています。来日後はジャーナリストとしてご活躍し、戦後は占領軍司令部で出会った学生時代の友人の多大な協力も得て、戦後ボーイスカウト運動再建に多大なご功績がありました。最終的にはジャパンタイムス社の社会部長や渉外部長をお勤めです。一時期、早稲田大学の講師もお勤めで、早稲田ローバースの隊長もお願いしていました。

 それはともかく、朝比奈管主とお話をした場所は、この写真の建物です。当時は龍隠庵(円覚寺塔頭のひとつ。現在は円覚寺境内の別の場所へ移動)でしたが、しばしば徹夜なさる事もあったとか。

 写真を撮りながらゆっくりと建物を拝見しましたが、おそらく建坪は4〜5坪程度で、小さなお堂(?)です。眺めていて、ちょっと楽しくなりました。これを機に、改めて村山先生のあれこれを、継続してご紹介したいなと思っています。
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2016年09月19日

日本連盟評議員会副評議員長 宮田 勝さん

 平成28年8月27日(土曜日)午後1時から、東京・内幸町の日本記者クラブ会議室において、ボーイスカウト日本連盟評議員会副評議員長宮田勝さんの「私とボーイスカウト運動」とでもいうような、スカウト経験をお持ちではないお立場からの、率直なお話を拝聴する会を開催しました。

 宮田さんは本田技研工業株式会社社友で、在職中は代表取締役専務としてご活躍なさいました。ボーイスカウト関係では、日本連盟評議員の他に、20年間にもわたり、東京連盟維持財団理事(現常務理事)もお務めです。ご承知の通り、ボーイスカウト東京連盟維持財団は、本田技研の本田さん、ソニーの井深さん、東急の五島さん、ブリジストンの石橋さんなどが中心となり、スカト運動を支援するために出来た組織です。宮田さんは本田宗一郎さんの後任として、本田さんの人造りのお考えなどを継承して、この20年間にわたりボーイスカウト運動を支えてくださっています。

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 お話は本田宗一郎さんのボーイスカウトとのかかわりから。

 維持財団は、本田さんがソニーの井深さん、東急の五島さん、ブリジストンの石橋さんとご相談、青少年の健全育成のために創設されたとお聞きしました。

 本田さんのボーイスカウト運動とのかかわりは、三島通陽総長のお話が大きな契機となったそうです。私たちの運動の

 ・野外を主な活動の場としていること
 ・パトロールシステム
 ・報いを求めぬ奉仕活動

に、特に共鳴してくださいました。この三点は、本田技研在任中に宮田さんが、管理職に登用された社員の皆さんへの基調講演の中で、つねに申し上げているとの事でした。

 続いてお話は、ボーイスカウト運動の現状に付いて。

 やはり加盟員減少が残念とおっしゃいます。街頭でスカウトの姿を見かける事が少なくなった、また、保護者などのニーズに対応しきれていないのかとも。評議員会でも常々おっしゃっているとの事でしたが、「反応はちょっぴり鈍い」との事。失礼ながら皆さん、聴こえなかったフリではと思いますが。

 次に富士スカウト。例年、東京連盟の富士スカウトへお話をする機会があり、そのおりのご感想を。
 お話の様子では、努力して富士章を取得した諸君であるにもかかわらず、例えばチャレンジングとでもいう姿勢がもっと欲しいとのご感想です。

 宮田さんは、かつて、富士スカウトを無試験・無条件で採用する企業が存在した時期をご存知です。ボーイスカウトとして活動したことを誇りとする時代の再来を、期待していらっしゃいます。

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2016年07月17日

23rd世界スカウトジャンボリーのご報告 関連資料

 23rd世界スカウトジャンボリー派遣団 牛山佳久副派遣団長によるご報告時に、埼玉連盟が制作した「23WSJ写真集」を頂きました。A4カラーで印刷され、殆どが写真ですが、参加スカウトやスタッフのお名前、そしてと支援を頂いた個人や団体、企業のお名前も掲載されています。

 すべてはご紹介できませんので、表紙と目次のみを。
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 続いて当日配布されたレジュメです。
 このレジュメに基づいて、前記事にある通りのさまざまなエピソードなどをお聞きしました。

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 ご報告が終えた後、集いは歓談の時間となり、皆さんのご感想などが続きました。


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2016年07月13日

23rd世界スカウトジャンボリーのご報告(牛山日本派遣団副団長)

  平成28年2月20日(土曜日)午後1時から、恒例の日本富士スカウトクラブ主催「Ever Onwardの集い」が開催されました。

 今回は第23回世界スカウトジャンボリーで、日本派遣団副団長という大役でご活躍の埼玉県連盟牛山佳久さんから、世界スカウトジャンボリー開催にあたってのご苦労や裏話などを含めて、「今だから話せる貴重なお話」などを伺う得難い機会となります。牛山さんは日本連盟評議員の他、埼玉連盟理事長をお務めで、埼玉連盟和光第1団・東京連盟新宿第2団早稲田ローバースのご出身です。

 23rdWSJ開催前のとある日、富士スカウトクラブのメンバーが、電車の中で牛山さんとお会いしました。どちらへとお伺いすると「世界スカウトジャンボリーをご支援の企業へのご挨拶です」とのお答え。その額の多寡にかかわらず、すべてのご支援を頂戴した企業を訪問してお礼を申し上げているとの事で、以来、私たちの間では「もっとも働く理事長」との尊称をお名前の前に付け加えさせて頂く事にしています。23rdWSJ期間中、日に日に痩せ細るが如き印象の写真ばかりであり、本気で心配させて頂いた記憶があります。

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 定刻、集いは大石和夫会長のご挨拶で始まりました。23rdWSJに際し、所属するライオンズクラブへ働きかけ、参加全派遣隊へ配布された「風まるくん(イワタニ製卓上コンロ)」やタープなどの贈呈にご尽力いただきました。

 続いて牛山副派遣団長。内容は多岐にわたりますので、其のうちのいくつかをご紹介させて頂きます。

・東日本大震災や福島原発被害により、WOSMから「中止しては?」との連絡がありました。アメリカ連盟からは開催を肩代わり、アメリカでの開催も可能とのお話が。ヨーロッパの各連盟は原発被害を懸念する声もあり、日本側は結構困惑した様子です。

 ご承知の通りWOSMは参加国を区分、Aランクは参加費が25,000円、Bは50,000円、Cは75,000円、そしていわゆる先進国はDランクの100,000円。経済力に応じて、負担額が異なります。ヒロシマに関連してアメリカは参加者数が激減しましたが、ヨーロッパからの参加者が減ると開催費用が不足するために、頭を抱えた様子でした。他に韓国も政治的な問題などで直前まで参加者数がはっきりせず、何かと多難な開催であったでしょうね。

・「ゆめ基金」
 現地の様子を見た安部首相が、排水の悪さなどを見てさらなる手当てを指示された様子です。ところが財源がなく、止む無くこの基金の一律カット。結果、どこの団体も給付が20%前後減少したとか。政権の主要閣僚の秘書にローバースOBがいて、冗談で「余ったら返してね」と言われたとか。

 耐えて下さった他団体の皆さん、本当にありがとうございます。

・日本ガールスカウトの参加
 ボーイスカウト側の不手際で、GS連盟への様々なご連絡が大幅に滞ってご迷惑をおかけしたたとのお話がありました。ふと思い出したのですが、かつて女子加入に際しても、似たような件があったのを思い出しています。

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・IST
 世界ジャンボリーだから来たのではなく、それが日本で開催されるから来たとおっしゃる海外指導者の方が多かったとお聞きしたことがあります。

 国内からのIST要員の"シフト制"は、「ありえない!」との反応。大学生が試験期間中で、終えてから現地入りの方々が多く、調整にとてもご苦労があった様子です。

・ガリガリくん
 とても好評を博したようですね。
 牛山さんが小鼻をヒクヒクの自慢話によれば、赤城乳業は埼玉県に本社があり、積極的なご支援を頂戴した様子です。また、同社の役員が元ボーイスカウトという事もあり、卸値にご配慮を頂きました。

 当初、一本100円での販売を考えたそうですが、地元スーパーが50円と聞き、泣く泣く(未確認)それにあわせたとか。某国派遣団(ハンガリーなのですが、伏せておきます)は250円で販売を開始、連日、値上げしろとの要求もあったとか。結局は撤退したそうですが。

・トイレやゴミの問題
 ISTの皆さんから悲鳴が上がっていましたが、国情の相違もあるのでしょうが、相当にご苦労をお掛けしました。トイレの中にペットボトルが捨てられて詰まり、シャワーにもトイレと「勘違い」をした例が多々ありました。トイレ清掃のボランティア部隊出現は、とても嬉しいニュースでしたね。

・日本派遣団結団式
 各隊10名開催されました。当初は欠席予定であった奥島理事長も参加、「ギモンだったが、日本のスカウトは素晴らしい」とのお話がありました。それを聴いた皆さんの感想は「理事長は何を言ってるのだろう」ではなく、「誰が理事長にそんな事を吹き込んだのだろう」でした

・お話の中で、愛知連盟のご協力が度々話題になりました。会社の元スカウトの社員を引き連れ、トラックまで持ち込んだ永井理事長への感謝が度々ありました。

・ホームステイ
 ジャンボリー前後、多くの参加者がホームステイをしました。埼玉連盟では約500名の台湾・イギリス・デンマークスカウトが埼玉入りをしました。埼玉県の積極的なご支援(資金提供等)も頂戴して、とても有意義なプログラムであったとのご感想です。


 まだまだ興味深いお話は続きましたが、書き切れません。ありがとうございました。そして本当にご苦労さまでした

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2016年04月20日

「ボーイスカウトの行進」

NHKテレビでボーイスカウトが取り上げられました。
「昭和26年(1951年)
ボーイスカウトの行進
4/13はボーイスカウト日本連盟が発足した日にちなんだ「ボーイスカウトの日」。映像は昭和26年に行われた大会&行進の様子。眼光鋭いオジサンは日本ボーイスカウトの生みの親!」と説明されています。

 このブログの機能では写真にリンクを張る事ができませんので、ご覧になるには以下のurlをクリックしてください。


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 昭和26年(1951年)、日本ボーイスカウトの生みの親・クラーレンス・グリフィン氏(イギリス)を迎えて行われた、日本ボーイスカウト東京都連盟の隊旗授与式。日の丸をかざした3000人の少年たちが皇居前広場に集まり、式後はブラスバンドを先頭に日比谷から銀座通り、八重洲口へと行進を行った折りのものです。この日本富士スカウトクラブのブログのTOPで簡略に記載していますが、この式典を開催した東京連盟の村山有初代理事長はクラブ創設の発案者。GHQ(占領軍)に掛け合い、戦後日本のボーイスカウト運動を再建させた功労者。ニュースの中で各隊代表者へ隊旗を授与しているのは、その村山理事長です。なお、この時代にテレビはなく、このニュースは全国の映画館で上映されたものと思われます。

 さらに別記録では、「昭和26年(1951年)11月3日、村山理事長は「東京都連盟百隊結成記念祝典」を皇居前広場で挙行。GHQからも多数の要人が出席した。新春の隊旗授与後の新隊にも「緑色隊旗」を授与する。夜は日比谷公園で大営火を行う」とあります。

 当日各隊に配布した東京都連盟の緑色隊旗は、日本連盟から「隊旗の色は原隊のネッカチーフの色を使用する規定であり、今後使用しないように」と通達が出されました。しかし東京都連盟は、「緑の隊旗は日米スカウトの「友情の印」として使用を続けます。日本連盟はこの隊旗の使用を認めず、日本連盟と東京連盟の"大喧嘩"に発展しました。このことは、当時の朝日新聞でも報じられています。
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