2013年03月05日

「EverOnwardの集い」平成25年2月例会

 平成25年2月16日(土曜日)午後、東京・内幸町の日本記者クラブ大会議室で、EverOnwardの会8月例会が開催されました。今回のお話は、日本連盟副理事長・国際コミッショナーの久米邦貞さん。昭和24年に東京21隊(現豊島第1団)少年隊へ入隊、大学卒業の昭和昭和32年まで同隊へ在籍しました。同年に外務省入省、ベルリン日本国総領事、ウイーン国際機関日本代表部大使、外務省儀典長、ハンガリー大使、ドイツ大使を歴任、平成13年に退官しました。

 会は、日本富士スカウトクラブ大石和夫会長のご挨拶に始まりました。
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 今回のEO会出席者は、いつもより多めの28名の皆さん。かつてご活躍の方々と現役が、半々といったところです。久米さんのお話は、自己紹介より始まりました。

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 昭和24年に学習院にボーイスカウトが結団されると同時に、中学生であった久米さんは少年隊スカウトとなりました。以来、昭和36年の東京大学卒業・外務省入賞までの間、スカウト・リーダ(少年隊副長、隊長)としてご活躍です。また、蔵王・軽井沢・饗庭野でのジャンボリーにも参加、海外では英国で開催されたジュピリージャンボリーにも派遣されています。

 お話は、少年時代の思い出から始まりました。「とにかく冒険と自然が大好きな子であった」とおっしゃいます。読図はスカウトになる前から我流で行っていて、スカウトになってそれをより正しく行う事ができたとか。終戦直後、焼け野原であった目黒駅前のご自宅は恰好の班集会場で、追跡ハイク、地下室探検などを楽しんだそうです。一人こっそりでしょうが、焼夷弾で遊んだ記憶までご披露なさいました。特にスキーがお好きで、初体験は、長岡に雪がなくて戻る汽車の中、車窓から見えた越後湯沢の旅館街裏手の雪が積もるスキー場。午前4時過ぎのことであったそうです。入団以来、雪中キャンプは皆勤というお話には、すなおに頷けます。

 「技能章は、とったかな?」とおっしゃいます。1級スカウトまではご記憶があるようですが、実際には選ばれて「名誉スカウト」の訓練会にも参加していらっしゃいますので、優秀なスカウトであった事は間違いありません。スカウトになってからの、地図を片手の山岳スキーや、小学生時代の自転車での熱海や伊豆キャンプなどのお話をうかがっていますと、相当の「実力」はお持ちかと感じました。

 外務省入省で海外勤務とあれば、スカウト活動の中断も止むを得ません。「スカウトスピリッツは常に持っていた」とおっしゃいます。海外勤務の休日には、4人のお子さんを誘ってキャンプやスキー、ヨットに明け暮れる日々が多かったとの事でした。分担して準備、日本と異なり、肉はそのまま(例えば足一本)販売されます。どうもウサギやニワトリをそのまま受け取る事が多かったようで、それを食べる事が出来るよう、切り分ける事もあったとか。ご一家6名の班ですが、「常にボーイスカウト活動を意識した」とお話になりました。

 「どうも私は、模範的なスカウトではなかったと思う」とおっしゃいましたが、しかし、お子さんの件をお聞きしても、模範的な指導者であると言えるような気がします。かつての日々のお仕事でも、例えば「それは私の仕事ではありません」という周囲の若い人を見て、ボーイスカウトではそうは言わないと、度々感じる事もおありだったとか。さらに、「今後はボーイスカウト運動の為に尽くしたい」とお話になりました。古くて新しい風が、私たちの運動に吹き込む事を期待したいと感じたひと時でした。



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久米美術館
 久米さんが館長である久米美術館は、JR山手線目黒駅前です。同美術館案内には、「久米美術館は、歴史家久米邦武とその長男で洋画家の久米桂一郎を記念して、二人のゆかりの地、目黒駅前に昭和57年10月に開館しました。」と書かれています。



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posted by 日本富士スカウトクラブ広報 at 19:45| Comment(0) | TrackBack(0) | EverONwardの会
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