平成29年6月24日(土曜日)のEO会で配布された、前世話人の村山至さんの資料をご紹介します。
終戦後70年以上も経過し、資料内にある皆さまも、そのほとんどの方が鬼籍に入りました。この際、終戦直後のボーイスカウト運動再建の動きの中での幾つかのエピソードを、村山有東京都連盟初代理事長の再建活動を中心にご紹介する事は、運動の歴史としてとどめ置く必要を感じています。ちなみに村山至さんは、村山有さんのご子息です。
ジャーナリストであった村山有さんは、竹下勇少年團日本連盟第三代総長でと親交があり、戦時中は目黒の村山さん宅へ疎開していましたが、終戦のその日、解散を余儀なくされたボーイスカウト運動の再建を託されていました。敗戦直後の占領軍進駐あたりから同志と共にボーイスカウト運動再建に奔走し、みごと再建を果たしました。
しかし、旧少年團出身者との"確執"めいたものがあったのでしょうか、わずか5年足らずで日本連盟相談役に祭り上げられ、運動の表舞台から去りました。もちろんその後も運動を担うお一人として活動は継続なさいましたが、朝霧高原での第1回世界ジャンボリー開催のために開かれる世界会議が、「ムラヤマが来ないのはおかしい」となり、出席のために急ぎ香港へ向かい船中で、残念ながら病のため急逝しました。
ご紹介する資料はEO会ご参加の皆さん向けに作成されたものですが、記録としてとどめ置く価値があり、あえて掲載させて頂きます。