2017年01月29日

北鎌倉円覚寺龍隠庵と宗教章

 12月31日は、この日本富士スカウトクラブの創設をご提案の村山有先生のご命日です。


 村山先生は、世界会議ご出席のために香港へ向かう船中で急逝し、本来は水葬となるべきところ、各界の皆さまの働きかけで香港で荼毘にふされました。個人的な事で恐縮ですが、このブログの保守を担当する私も、先生が隊長をであった東京149団ローバー隊に所属していましたので、他の隊員と共に、ご遺骨を羽田空港までお迎えに上がった事を記憶しています。なお、葬儀は翌年1969年1月12日に、東京連盟葬として築地本願寺で執り行われました。お墓はこの円覚寺内にあります。


 この記事は別ブログに掲載しましたが、記録として留めるため、文章を整えてこのブログへ掲載させて頂きます。


 ご存知の方もいらっしゃいますが、信仰を持つことを推奨するボーイスカウト運動に、宗教章を提案したのは村山先生。1960年の全国会議で提案、最初の宗教章である仏教章として、創設が採択されています。

 実は円覚寺、仏教章と、ご縁が深いのです。この円覚寺朝比奈宗源第十代管長は、米国政府の招きをうけて渡米していた時期があり、「下宿先」は村山先生のご実家でした。村山先生のお母さんは医師で、米国で開業していたのです。そのような訳で、お二人には親交があり、宗教章創設を考えた村山先生は、宗教、信仰、神、仏等の話をなさったのでしょう。そのご縁もあって、先立たれた村山先生の葬儀では朝比奈管長が導師となり、宗派の異なる築地本願寺でいとなまれました。お墓が円覚寺にあるのは、朝比奈管長の前に円覚寺第八代古川堯道管長も渡米時、同様に村山先生の実家のお世話になった様子で、そのご縁かと。因みに先生は米国シアトル生まれで、終戦直後に、何かと有利であった米国籍を放棄して日本国籍を取得しています。青春時代には、来日して旧制松本中学(現在は松本深志高)で学びましたが、その後帰国し、大学卒業後、サンフランシスコなどで新聞記者となりました。1938年に再来日しています。来日後はジャーナリストとしてご活躍し、戦後は占領軍司令部で出会った学生時代の友人の多大な協力も得て、戦後ボーイスカウト運動再建に多大なご功績がありました。最終的にはジャパンタイムス社の社会部長や渉外部長をお勤めです。一時期、早稲田大学の講師もお勤めで、早稲田ローバースの隊長もお願いしていました。

 それはともかく、朝比奈管主とお話をした場所は、この写真の建物です。当時は龍隠庵(円覚寺塔頭のひとつ。現在は円覚寺境内の別の場所へ移動)でしたが、しばしば徹夜なさる事もあったとか。

 写真を撮りながらゆっくりと建物を拝見しましたが、おそらく建坪は4〜5坪程度で、小さなお堂(?)です。眺めていて、ちょっと楽しくなりました。これを機に、改めて村山先生のあれこれを、継続してご紹介したいなと思っています。
画像

posted by 日本富士スカウトクラブ広報 at 15:43| Comment(0) | TrackBack(0) | EverONwardの会
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