2015年05月04日

白橋龍夫さん-再建ボーイスカウト受難時代-(産業新潮昭和58年8月号より)

「産業新潮」という月刊誌があります。その昭和58年8月号に掲載された白橋龍夫さん(日本連盟参与)の寄稿をご紹介します。

 戦後のボーイスカウト運動再建では、物心両面からその活動をしっかりと支えた数多くの方々がいらっしゃいます。白橋龍夫さんもそのお一人で、ご自宅はもちろん、経営していらっしゃった(株)白橋印刷所の社屋を需品部として提供して下さり、連盟への巨額な資金貸与で会社の運転資金に困窮することまでもあったとか。

 今とは少し異なる、「こころざし」を感じませんか。華々しく連盟史に登場する皆さんではなく、しっかりとスカウト運動を支えてくださった方々をご紹介し、感謝の念をこめ記録として留めておきたい。そう思います。以下にその記事の全文をご紹介します。

産業新潮8月号 昭和58年7月25日発行(産業新潮社/東京都中央区)より

「再建ボーイスカウト受難時代」ボーイスカウト日本連盟参与 白橋龍夫

-BS運動に六十年 日本連盟の沿革と現状-

 戦後三十八年、日本は世界に誇る復興躍進をなし遂げ、経済大国として世界注視のマトとなっている反面、国内ではようやく教育のヒズミから先ごろのような中学生の衝撃的な事件が相つぎ、将来の日本はどうなることかと不安な気持でおりますが、私も戦前からボーイスカウト運動関係のひとりとして、青少年教育にある程度の関係を持ち続けた人間で、問題校の教師の立場、生徒の生活環境やその心境を思いやり無関心ではおれないものがあります。
 私がボーイスカウト運動に関係してすでに六十年になりますが、お陰でボーイスカウト日本連盟の現勢は約三十三万人を数え、戦前の十倍の人員となっております。戦後のボーイスカウトの教育をうけたものは通算しますと120万を越すものと思われます。
 わが国のボーイスカウト運動の創始は、1913年(大正二年)といわれておりますが、私どもそのころの仲間が日本ボーイスカウトクラブに集まり、オールドスカウトとしての活動を行ない、今では現役との交流、ボーイスカウト日本連盟の計画や行事への協力、このほか外国の仲間や友好団体との交歓などをなっている次第であります。

-戦後の再建に協力 GHQの説得に当たる-

 想起すれば、三十八年の昔、日本国民が初めて体験した敗戦、占領中の軍政下にあって、国の復興には国民等しく困苦欠乏の時代がありましたが、ボーイスカウトの再建にあたっても世界を相手にして戦った日本の軍国主義の再起をおそれて、海洋(シー)、航空(エア)少年団の創建が禁止され、規約ひとつを作るにしても占領軍の意向を打診しつつ進めたものであります。
 私が結団の前から相談に与っていた東京・目黒の都立大学近くに住んでいた、アメリカ生れの二世でサンフランシスコ・クロニクル、同盟通信社、NHKを経て、当時日刊英字紙ジャパン・タイムスの社会部長だった村山有氏が、ボーイスカウト再建にあたって進駐軍との折衝の矢表てに立ったのでした。直接その衝にあたらない戦前の熱心なスカウト指導者の同志には不満が多く、内容を批判し、占領軍と談判にあたっているものを泣かせたものです。
 相手は紳士とはいえ、勝者の立場にある占領軍の軍政下、たとえば、現在日本ボーイスカウトが使用しているスカウトき章は、全体の形は世界各国ほとんど同一で、花形は百合(ゆり・愛)、三個の花弁はスカウト・サインの三つの誓いをあらわし、真中の弁は北を指すコンパス、二つの星は真理と知識を、そしてスカウトの目を型どったものですが、何とはなしにアメリカ占領軍の押しつけたものという印象は否めませんでした。戦前の少年団時代のき章、三種の神器の八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八坂 曲玉(やさかにのまがたま)のひとつでありましたが、この鏡を入れて「日本人の心」をあくまでも残そうとする村山東京連盟理事長に対し、占領軍当局は猛然と非難攻撃をしたが、村山氏らの説得で日本側の希望が入れられ、私はいつもこのことを回願しては、アメリカが当時の状況下にあってよくこの鏡を許したものだと感慨を新たにするとともに、今日までこの鏡が生きているのであります。

-私宅を会議場として GHQ幹部を接待-

 このようなことから米軍関係者とは、たびたび打合わせの必要にせまられ、幸い築地明石町の私宅が戦災にあわず残っていたため、当時の日本連盟三島通陽総長からここを是非会議場としてお貸しくださいと懇願され、当時の状況に、止むをえずとこれを承知し、ボーイスカウト日本連盟会議場としたのです。一日も早くGHQ(連合国軍総司令部)の許可を取りつけるために、会議に出席の外人には必ず日本食を準備して、当時日本人としては最高のもてなしをするハメとなり、金もなく物もない時代、家内に無理算段させて外人の好む天ぷらを整えるため、伊勢エビは、当時華河岸にも入荷が少ないために夜半に買出しに行き、愚妻が多少の調理の心得があったため、徹夜で料理を作ったものでした。
 今でこそ都内の著名なデパートには、ボーイスカウト用品売場が特設されておりますが、当時日本連盟の需品部は私の社の八丁堀の印刷工場を無償貸与したり、連盟資金もなくついつい立替えるハメとなり、100万に近い金額を出資し、私は社の運転資金にも困窮することがたびたびあり、日本連盟も私も行きがかり上過渡期の苦難を味わったものでした。
 GHQ民政局より私宅に集まった外人は、ダーギン、タイパー、フィッシャー夫妻、ウイリアム、スチュアート大佐、リビスト少佐、ネピア少佐、サリバン女史らで、三十余年たった今では懐かしい記録にある人々です。また、日本側は、故三島通陽、故岡本礼一、故村山有、関忠志の四氏が交渉の主体となり、他に古田誠一郎、今田忠兵衛、尾崎忠次、鳴海重和の諸氏や、時には夫人方のお力添えも大なるものがありました。
 たびたびの会談のうちに尚一層の和を求め、ひたすらボーイスカウト誕生のために伊東温泉行きとなり、旅館「いずみ荘」に唄い踊る芸能人ともども、前記外人のほか、伏見朝子さま、三島通陽夫人、塩野女史方々の涙ぐましいご協力でご出席くださり踊りの輪を作る等、ご努力の程は感謝の至りでした。昭和二十三年十一月七日伊東市の肝いりで市の公会堂でボーイスカウト運動の講演会のおり、スチュワート大佐の発言で、戦後のボーイスカウト運動史上最初の国旗の掲揚と国歌「君が代」の斉唱を許された時、私達はこれでボーイスカウトの再建は半ば成功したものと感涙にむせんだものでした。

-BS日本連盟の再建 幾多の迫害を克服して-

 この運動の結果が、ボーイスカウト再建運動の狼煙(のろし)となって、全国各地に存在の戦前のスカウト同志達が運動の主体をはっきり認識して力強く動き得たと存じます。
 当時文化人と称する方々のもっとも多いとされたいたのは、目黒と世田谷の両区といわれていましたが、村山理事長の自宅近くの都立大学のキャンパスでは学生が労働歌を高唱し、また自宅の前の区立中学校では校舎のスピーカーから白昼公然と教師により「ボーイスカウトに入るな。米国の欺瞞政策だ」等々、あらゆる反米宣伝があったが、地もとの大学生の文化サークル「八雲青年会」が村山氏に協力して理事長の地もとに一日も早くボーイスカウト隊の創建をと努力したが、暗やみから石が飛んでくるなど、若者達は恐れをなして何度も結成はざ折、ついに村山氏は、軍隊から復員した指導者を隊長に任じ、一方日比谷の米軍憲兵隊司令部バーンズ少佐に連絡、地もと碑文谷警察署長は防犯係の私服を結成準備の隊活動には派遣ひ護するという、今ではとうてい考えもつかない迫害をうけたのでした。隊長も父兄も決死の覚悟で隊づくりに奔走したのでした。このような事情から、東京では成城学園に第一隊、浅草に第二隊と結成をみ、とうとう村山氏の地もと隊はようやく七十番目の結団をみたのでした。
 マッカーサー元帥に談判をして、日本のボーイスカウト再建の許可を取り付けたり、日本列島を取り巻く当時のマッカーサー・ラインなるものを撤廃させた民間外交の立役者国際新聞人の村山氏は昭和四十三年に、再建の揺らん期に終始苦労をかけた家内も昭和五十二年に亡くなりました。日本人がはじめて体験した敗戦、それから四十年もの平和なっ暮らしになれた今日ではとうてい想像もおよばぬことで、歴史はとかく時の為政者の手によって勝手に都合のよいように改編改ざんされ歪められ、歪んだまま正統と信じ認められてしまうこと数多くあり、まことに残念の至りです。

-青少年の健全育成と 祖国の繁栄に寄与を-

 この再建初期の状況が、日連本部には記録が少ないのは、当時本部の役員であった故三島氏、故岡本氏、故村山氏の死亡により自然推移によることと思います。しかし当時会議にご参加くださった方々が今回ご健在であらせられることは、誠に心強きかぎりとご祝福申しあげます。
 昭和十三年、少年団日本連盟の月刊機関誌『少年団研究』第二号の印刷からその衛にありましたものとして、ひと言ボーイスカウト再建運動中故人となられた同志の当時の逸話をご披露し、とくに村山理事長方々の供養にと「ぶしつけ」をも顧みず筆をとりました。昨夏、山形市でのボーイスカウト日本連盟の総会で、私に渡辺総長より特別感謝章を伝達されましたが、愚妻にくださったものとありがたく拝受した次第です。
 ボーイスカウトに限らず、今後も青少年教育の健全育成のため関係者と親しくご連絡をとり、祖国の繁栄発展に寄与したく考えております。
                         株式会社 白橋印刷(現在は株式会社白橋)
posted by 日本富士スカウトクラブ広報 at 11:27| Comment(0) | TrackBack(0) | EverONwardの会