2012年10月08日

EOの会平成24年8月例会

 8月25日、東京・内幸町の日本記者クラブ会議室で、「Ever Onwardの集い」が開催されました。今回は「学習院ボーイスカウト運動の歴史」と題して、第二代隊長を務められた平井忠正さんをお招きして、昭和25年1月に発隊した当時のさまざまを講演して頂きました。

 ボーイスカウトのシンボルであるネッカチーフ、それが今とは異なり、四角形であった事をご存じの方も少なくなりました。学習院の隊(当時。その後、隊は団と名称が変わりました)では、「日本再建の道案内」となるべく、羅針盤をデザインしたものでした。発隊に際しての、こころざしの高さがうかがえます。
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 学習院のボーイスカウト団は、昭和25年1月23日に東京の21番目の隊として登録されました。学習院とボーイスカウトとの関係は明治時代に始まっており、このためか多くの学習院出身者が戦前から日本のボーイスカウト活動に貢献しています。ちなみに、戦後の初代総長の三島通陽総長も卒業生です。
 そのような背景もあり、待ち望んでいたものとして隊設立の運びとなりました。最初の隊設立の打ぢ合わせは昭和24年夏、後に赤坂プリンスホテルとなった李邸にて開催されました。ご出席の方々は李ご夫妻、古屋徳兵衛ご夫妻、山本満喜子さん、村山有さん、リーダー候補の鳴海重和さんと平井さんでした。
 集会は高輪台町の山本さんのお宅で、7名程で活動が開始されましたが、ボーイスカウト発隊を聞いて入隊を望む方が多く、すぐ一個隊が出来上がり、翌年正月、初代隊委員長(現在の団委員長)に有島行朗氏をお願いして登録されました。しかし、活動は正式登録される前から活発で、昭和24年9月に皇居前広場にて開催されたボーイスカウト日本連盟第1回全国大会(日本ジャンボリーの前身)や、25年1月3日の東京連盟新年国旗行進等に参加しています。

 興味深いお話をお拝聴し、会を終えました。次回のEOの会は、スカウティング誌にもご紹介された久米邦貞さん(日本連盟副理事長・元駐独大使)をお招きしてお話をお願いする予定です。久米さんは、この発隊時のスカウトです。
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posted by 日本富士スカウトクラブ広報 at 19:58| Comment(1) | TrackBack(0) | EverONwardの会