2019年05月02日

日本富士スカウトクラブ主催「Ever Onwardの集い」日本連盟福嶋コミ

平成31年3月30日(土曜日)午後1時から、日本記者クラブ会議室を会場に、日本富士スカウトクラブ主催「Ever Onwardの集い」(略称EO会)が開催されました。

 日本のボーイスカウト運動は1922年(大正11年)、総裁を後藤新平男爵、三島通陽副理事長として少年團日本連盟が創設され、2022年には創立100周年を迎えます。その間、元号は大正、昭和とかわり、そして5月からは令和となるこの節目に、ボーイスカウト日本連盟コミッショナーにご就任の福嶋正巳さんに、我が国ボーイスカウト運動の現況をお話頂きました。少年時代からボーイスカウト運動へ参加し、数多の研修所や実修所の所長としての奉仕歴もお持ちです。

 お話はスカウト運動に参加する青少年が減っている現状を踏まえ、様々な対応が必要となっている事から始まりました。昭和58年の33万人から考えると1/3となっている現状を考えると、これまでの概念にとらわれない制度設計の再検討が必要な時期であると考えていて、部門の変更、年齢の変更も検討をしているところだそうです。

 コミッショナーのお話は、「100周年に向けた加盟員の増加のために、様々な施策を考えていきたい。特に日本連盟100周年には18NSJが東京で行われる。折角の機会なので、期間中も含めて様々な企画を検討しているが、ボーイスカウト運動を発展させるために、これからも努力していきたい。」のお話で締め括られました。大変なお役目ですが、これからのご活躍にも期待したいところです。

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 写真中央が、今回お話を頂いた福嶋正巳日本連盟コミッショナーです。

  その右は山口陽さん。早稲田ローバースOBです。お父上の山口勝治さんは戦後ボーイスカウト運動に貢献された日本連盟先達ですが、東京連盟副連盟長の他、日本連盟コミッショナーとしてもご活躍でした。



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2019年04月20日

第18回オリンピック記念品

 平成29年8月26日、「Ever Onwardの集い」では昭和39年(1964年)10月10日から24日開催の、第18回(東京)オリンピックで、ジェット機(F-86)で青空に五輪を描いた航空自衛隊ブルーインパルスのパイロットであった藤縄忠さんをお招きして、興味深いお話の数々をお聞きする事が出来ました。

 勿論スカウト達も、各会場で参加国国旗の掲揚・降納などのお手伝いをしています。現在では名称が変更されていますが、少年隊(ボーイスカウト)や年長隊(ベンチャースカウト)、そして青年隊(ローバースカウト)達が早朝から競技場などへ集合、午前8時にNHKラジオのファンファーレにあわせて93の国や地域の国旗掲揚を行いました。

 ボーイスカウトは国旗の扱いに慣れているとはいえ、万全を期して年長隊を中心に、自衛隊宿舎をお借りしての二泊三日の合宿も開催されました。スカウト達の年代は「団塊の世代」が中心で、現在では60歳台後半から70歳台でしょうか。旗手は正副2名のスカウト一組で100組近く。長蛇の列でポールへ向かう、緊張した表情の彼らを、いまも覚えています。スカウト達は学校の遅刻公認で、夕方の降納もありますので大変であったと思いますが、とても良く頑張って、お役目を立派に果たしてくれました。

 スカウト達はネッカチーフが配られ、オリンピック終了後、全員に組織委員会からの感謝状と、岡本太郎さんのメダルが贈られています。

 スカウト数の減少が危惧されています。今回のオリンピックやパラリンピックでも私達の積極的なご支援が必要と、各組織や自治体からローカルに、お手伝いのご相談が届いているとお聞きしています。既に10万人台を割る私たちの組織ですが、人口密集地以外の地域の団のご支援も必要かも知れませんね。


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2019年01月07日

平成30年8月25日、日本富士スカウトクラブ主催「Ever Onwardの集い」

平成30年8月25日(土曜日)午後1時から、日本記者クラブ会議室で日本富士スカウトクラブ主催「Ever Onwardの集い」が開催されました。

 この春、移転前の東京・文京区の日本連盟スカウト会館のスカウトミュージアム見学会を開催しましたが、その席上、「日本の少年団運動 資料に見る黎明期のスカウティング」が4月20日に出版とのご報告が編著者の五十野和夫さんよりありました。

 今回の集いは、この完成した「日本の少年団運動」の詳細のご紹介に始まり、資料蒐集の苦労話などをお聞きしようとの意図で開催されています。五十野さんはスカウト切手・メモラビリアクラブ所属で、ボーイスカウト切手や資料などの蒐集では著名な方のお一人です。
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 今回のその膨大なコレクションの一部を本の形で出版する事になった契機の一つは、収集活動の古書店巡りで、恐らく内田二郎さんのコレクションと思われる三島通陽元日本連盟総長のお手紙や葉書、弥栄ボーイスカウト結成時の資料、少年團日本連盟創立関連の文書を手に入れた事。これで三島元総長関連の資料も充実し、それが出版を促した様子です。

 さらに一番の「珍品」は、アメリカの著名コレクターから譲渡された第2回国際ジャンボリー(第3回ら世界ジャンボリーと呼ばれる)の参加章。この大会はデンマークで開催され、参加者は5000名と少ない大会でした。
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 参加章にはNo.が1〜5000まで印字されており、No,1はデンマーク王に、No.4999はLady B‐Pに、No.5000はB‐Pに渡され、B‐Pの参加章はイギリス連盟の本部に保管されています。

 この参加章は絹で作られていたために損傷が激しく、現存しているのは29枚しか分かっていません。五十野さんの入手した参加章はアメリカ・バルチモアの派遣隊員の物だそうです。日本からも三島元総長を始めとした方々が参加していますが、参加章は出てきていません。

 他にもボーア戦争の時に、B-Pの切手が戦場で発行されましたが、その時に使用された実逓便(実際使用された封筒)も希少価値が。面白いものは、千駄ヶ谷少年団結団式時の徳川家達、後藤新平の祝辞や二条暑基の祝電。ご本人曰く、「切りがない」とおっしゃるほどに、膨大な資料などが整理・保存されています。しかし、このような蒐集家によって一度散逸したものがまとめられて整理整頓されます。蒐集家の存在の意義を、あらためて感じています。
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2018年05月25日

平成30年3月24日、日本富士スカウトクラブ主催「Ever Onwardの集い」

 平成30年3月24日(土曜日)午後1時30分から、日本富士スカウトクラブ主催「Ever Onwardの集い」が開催されました。従来は日本記者クラブが会場でしたが、今回は東京・文京区の日本連盟スカウト会館内のスカウトミュージアムの一隅を拝借しての開催です。

 スカウト会館は移転の予定があり、それに伴い、規模の縮小が予定されている様子であることからこのスカウトミュージアムでの開催が決まりました。

 今回のスピーカーは、早稲田ローバース出身、日本スカウト切手・メモラビリアクラブ五十野和夫さん。ボーイスカウト関係者の中では、その名を知られたコレクタです。

 五十野さんのお話は、4月20日に発行予定の資料集「日本の少年団運動 資料に見る黎明期のスカウティング」の内容に沿って進められました。この集いの楽しさは、「あれはどうだったかな」と質問が出ると、ほぼ必ずそれをご存知の方がいらっしゃること。そこから話題はさらに拡がり、留まるところを知りません。時にはミュージアムのスタッフの方もお仲間入りして、とても掘り下げたお話の数々をお聞きすることができました。

 なお、五十野さんの「日本の少年団運動」は限定500部の発行で、頒価2,500円。5月26日から開催の日本連盟全国大会で開催される「スカウティングエキスポ2018」会場でも販売ブースがあります

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2017年12月15日

平成29年8月26日開催Ever Onwardの集いご報告

 ご報告が遅くなりましたが、平成29年8月26日(土曜日)午後1時から、日本記者クラブ会議室において、日本富士スカウトクラブ主催「Ever Onwardの集い」が開催されました。

 今までのこの会は、ボーイスカウト関係の方々からの貴重なご経験などをお聞きすることが多かったのですが、今回は、1964年開催の東京オリンピックで、ジェット機(F-86)で五輪をお作りになった、航空自衛隊ブルーインパルスの藤縄忠さんをお招きしました。

 大石会長のご挨拶に続き、藤縄さんのスピーチが始まりました。
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 この準備が開始されたのは開催の1年半ほど前からで、依頼は「貴賓席からもっとも綺麗に五つの輪が見えるように」。高度は赤坂上空3,000m、時速4600kmとして計画が作られてパイロット6名(お一人はピンチヒッター)が選抜されました。

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 今であればコンピュータで計算もできるでしょうが、高機能なレーダもなかった事もあり、すべてカン。相当なご苦労があったようです。訓練では一度も成功せず、開会式前日を迎えました。その日は大雨で、こりゃ飛べないと、居酒屋をハシゴで午前さまとお聞きしました。翌朝目を覚ますと好天で、皆さん急ぎ基地に向かったようです。

 江の島上空で待機、予定の時刻に競技場へ向かいます。一つの輪の大きさは6,000フィートで、上段3つと下段2つの輪の間隔は1,000フィート。訓練では失敗続きだったが、本番では成功したと藤縄さんはおっしゃいましたが、見事な五輪が会場から遠望できました。本番に強い、パイロットの皆さんであったようですね。
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 私たちにとりましては未知の分野のお話であり、とても興味深い内容でした。ありがとうございました。2020年の東京オリンピック開会式では、まだ実施は確定していないようです。


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2017年12月13日

アクセスカウンタの不具合


12月13日、アクセスカウンタが、99,999から00000へとなりました。

リセットされたのか、桁数が増えたために10万台表示が隠れてしまったのか、現在その原因を調査中です。



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日本富士スカウトクラブ創立50周年記念パッチ

 このブログのトップにある通り、日本富士スカウトクラブは1968年に村山有東京連盟初代理事長により創設の準備が開始され、翌年に発足しています。

 ご承知の通り1971年に、第13回世界ジャンボリーが朝霧高原で開催されました。それに先立つ1968年、村山は日本連盟相談役で第一線から身を引いていましたが、「どうしてムラヤマが会議に出席しないのか」との海外からの要請で、急遽日本側代表として世界会議へ出席のために香港へ向かいましたが、その船中で、病のために急逝しました。12月31日のことです。享年63歳でした。

 それから50年。2005年12月には、日本富士スカウトクラブが生誕100周年を記念しての集まりをプレスセンタで開催しましたが、今回は歿後50年とクラブ創設50周年の節目に、パッチを作成しましたのでご紹介させて頂きます。

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posted by 日本富士スカウトクラブ広報 at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | EverONwardの会

2017年09月05日

EO会配布資料

 平成29年6月24日(土曜日)のEO会で配布された、前世話人の村山至さんの資料をご紹介します。

 終戦後70年以上も経過し、資料内にある皆さまも、そのほとんどの方が鬼籍に入りました。この際、終戦直後のボーイスカウト運動再建の動きの中での幾つかのエピソードを、村山有東京都連盟初代理事長の再建活動を中心にご紹介する事は、運動の歴史としてとどめ置く必要を感じています。ちなみに村山至さんは、村山有さんのご子息です。

 ジャーナリストであった村山有さんは、竹下勇少年團日本連盟第三代総長でと親交があり、戦時中は目黒の村山さん宅へ疎開していましたが、終戦のその日、解散を余儀なくされたボーイスカウト運動の再建を託されていました。敗戦直後の占領軍進駐あたりから同志と共にボーイスカウト運動再建に奔走し、みごと再建を果たしました。

 しかし、旧少年團出身者との"確執"めいたものがあったのでしょうか、わずか5年足らずで日本連盟相談役に祭り上げられ、運動の表舞台から去りました。もちろんその後も運動を担うお一人として活動は継続なさいましたが、朝霧高原での第1回世界ジャンボリー開催のために開かれる世界会議が、「ムラヤマが来ないのはおかしい」となり、出席のために急ぎ香港へ向かい船中で、残念ながら病のため急逝しました。

 ご紹介する資料はEO会ご参加の皆さん向けに作成されたものですが、記録としてとどめ置く価値があり、あえて掲載させて頂きます。

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B村山有の知らない話EPSON006.JPG
C村山有のしらない話EPSON007.JPG

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2017年08月08日

平成29年6月24日、日本富士スカウトクラブ主催「Ever Onwardの集い」

 平成29年6月24日(土曜日)午後1時から、内幸町日本記者クラブ会議室において、恒例の日本富士スカウトクラブ主催「Ever Onwardの集い」が開催されました。この会は毎年2月と8月に開催されてますが、今回は6月の開催です。

 この会はその都度お客さまをお招きして、ボーイスカウト関係の話題をお話頂くのが中心でしたが、今回はこの会の世話人のお一人である日本記者クラブ会員村山至さんの、戦後ボーイスカウト運動に付いてのお話が中心となりました。

 村山さんのお父上は初代東京連盟理事長であった村山有さんであり、戦後のボーイスカウト運動再建に中心的な役割を果たした方です。村山有さんなくして再建はならなかったであろうと、そう痛感しています。米国生まれの二世で、戦後すぐに運動再建に立ち上がり、占領軍司令部(GHQ)へ働きかけて再建を果たしました。しかし、そのご功績は意図的に伏せられて、連盟史上で見かけることはほとんどありません。わずか4年で運動の道筋をつけ、そして連盟相談役へと祭り上げられて表舞台から去りました。遠い時代のお話ですが、現在、日本連盟総長室には歴代総長のお写真と共に、数年前から村山有さんも掲げられているとお聞きしました。

 それはともかくとして、村山至さんのお話は、オールドスカウトクラブ創設や、戦後の一時期、日本大学でボーイスカウト講習会が開催されたとのお話から始まりました。お話は多岐にわたり、とりあえずオールドスカウトクラブに付いてのお話で配布されたレジュメからご紹介します。作成次第、残る興味深い内容のお話もご紹介する予定です。
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2017年06月12日

少年団日本連盟第三代総長 竹下勇さん

 旧少年團日本連盟第三代総長は竹下勇さんでした。先日ご紹介した、昭和天皇の英国訪問時にB-Pからシルバーウルフ章を贈られた折の、同行者のお一人。旧海軍軍人で、海軍大将でした。

 その竹下総長の団杖と制服の写真が手に入りました。ご覧のとおり、とても綺麗に保管されています。さほど遠くない日、公開されるかも知れません。その時にはまたお知らせしますので、どうぞ現物をご覧ください。なお、写真の上をクリックすると、その都度画像が大きくなります。

 原宿・竹下通りですが、この竹下さんのご自宅があったところで、そのご縁で命名されたと知りました。
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